君が好きです

 

授業の開始を告げるチャイムは大分前に鳴ったきりで、校庭からの遠い歓声も間延びして随分と静かだ。天気が良く遮るものの無い光の下は、初冬とはいえ随分暖かい。雲雀は屋上の真ん中にころりと寝転がって、午睡を楽しんでいた。

「こんな所でさぼっていていいんですか?」

不意に聴くはずのない声が耳に届いて、ぱちりと目をあける。

眩暈がするような高い高い空の中、そこだけ切り取ったように別の色彩が被さっている。逆光になって細部まで識別できないが、声と独特の髪型で誰かなんて直ぐに分った。たった一度の関わりで、雲雀に最高の屈辱を味あわせてくれた男だ。地に這いつくばされて舐めた埃っぽい土の味は忘れようとて忘れられない。でもあの出来事は雲雀の中でもう決着がついていて、男に興味は微塵も無い。

だから雲雀は開けた瞼をもう一度閉ざして、上から覗き込む整った顔を視界から消し去る。

正午の強い陽射しの中では薄い皮膚一枚では真っ暗闇にはならない。どこか橙色が混じった白い輝きは、血管が透けている所為だろう。

さっきまで心地良く感じていたそれが急に眩しくなって、光を遮ろうと腕を動かそうとしたところで、世界が暗くなって唇に柔らかいなにかが触れた。暖かくしっとりと潤ったそれは、ほんの僅か輪郭が分る程度合わさっただけで、それ以上押し付けられることも離れることもなく、じっと其処にある。

目を開けなくてもわかる。骸が腰を屈めて雲雀に口付けたのだろう。

いつの間にか腕もほんのりとぬくまったコンクリートに上から押し付けられていた。それでもその拘束はあまりにも心もとなく、骸の手はただ添えられているだけで、捕まえておこうという意志は感じられない。

億劫そうに雲雀が瞼をもう一度持ち上げれば、違う事の無い骸の瞳の色がぼやけていっぱいに広がった。滲む赤と青に、肌の色。時折りちらつく黒は呼吸に揺れ動く髪の毛だ。

まるで幼い恋人同士のような拙い交情で、なお深い交わりを一方的に経験した身から顧みるに失笑もいい所だった。

けれど骸がこれ以上なく真摯だという事は雲雀にも伝わってくる。拒絶すれば、直ぐにでも退けるように、添えられただけの手と唇。

それらは抵抗する雲雀を、無理に蹂躙するつもりは無いと示していた。

だから雲雀は腕を僅かに動かした。それに、意を読み取って骸は静かに唇を離して雲雀の上から退ぞいていく。上半身を起こすのをただ傍らにいて見守る男に、随分物分りの良くなったものだと嘲笑じみて口唇を吊り上げ、雲雀はゆっくりと立ち上がる。

軽くYシャツやズボンを払って、下に敷いていた学ランを拾い上げて肩から羽織った。やっぱり熱を吸収したそれは日光を遮られて少し肌寒い校内では調度いいだろう。

一瞥すら与えず歩き出した雲雀の後ろから、数歩遅れて骸が追随してくる。初めて見た相手を親と思い込む雛鳥でもあるまいに。ちょっと顔を向ければにっこりと笑う男の顔が見えて、雲雀は嘆息した。

「ついてこないでよ」

「嫌です」

「しつこい男は嫌われるよ」

「それでも、嫌です」

不意に手腕をとられて、きゅっと握り締められた。歩を止めて振り返れば、まるっきり子供のような顔をした男がいる。

とられた手首に痛みは無い。それでも、決して弱い力ではなかった。骸は、苦痛を与える度合いを見極めて雲雀に接触している。以前は、そんなこと気にも留めなかったくせに。

「僕は、君のそばにいたいんです」

出来る限り、優しくしようとしているなんて、見ていればわかる。

バカみたいだ。

こんな事しないで、あの時みたいにさっさと屈服させて跪かせて無理やり手に入れてしまえばいい。

この上なく似合わない行為をしているなんて、本人だってきっとわかっているだろうに。

 

雲雀は自分が天邪鬼だという事を知っている。

こんな風にされたら、反発してみせるしかできない自分をしっている。それを歯痒くすら思うのに、どうにも出来ない。

だってこれが雲雀だ。

 

いっそ前みたいに無理やり奪ってくれればよかったのに。

 

もどかしさに、雲雀は自分の唇を噛み締めた。

 

 

 

 

 

一見骸さんが追い掛け回しているようですが、雲雀さんもメロメロなのよと言う話