染み入る路面の水さえも、羊水のように――― Sunny rainy day. 【 それは貴方を逃がさないよう、鎖に繋いだ日 】 手を取った子供を立ち上がらせようとして、雲雀ははたと気がついた。膝にのっている子供がいるから、このまま引っ張り上げるのは無理だ。 子供の方もそれに気が付いて、自身の膝を見下ろして苦笑した。 困ったような、惑った顔ではなく、それは確かに、仕方ないと言う諦めの混じった顔だった。 本当に、随分と大人びた子供だ。 感心する雲雀は、このまま歩いて帰る気を無くしてしまっていた。 抽象画のようなにぼやけた街に、もう心が惹かれないのだ。これ以上歩いて帰っても、大して面白くもなんともないだろう。 意識は全て、たった今した拾い物に移ってしまったから。 雲雀は迎えを寄越させる事に決めて、連絡を着けるために一旦子供と繋いでいた手を離そうとした。 その一瞬、子供がそれを厭うように手を握る力を強くした。 驚いて子供の顔を見れば、子供はただじっと色違いの瞳で雲雀の顔を見詰めていた。青の中に浮かぶ、自分の像。 その手を振り解くのは、なんだかとても酷い事のように感じて、雲雀は差していた傘を置くと、子供の隣に座り込んだ。 濡れた地面から、ズボンにじわりと水が染み入ってくる。 雲雀は手を繋いだまま、傘を握っていた手でポケットから携帯をとりだす。その細長い指が慣れた手つきで短縮に入っている屋敷の番号を呼び出して、通話ボタンを押した。 「すみません」 ファミリーの誰かが電話を取るのを待っていると、子供が謝った。 濡れた手は、子供に相応しく、体温が高い。 それが、くすぐったい。 動物の子供は、なぜ皆こんなに熱いのだろう。 「別にかまわないよ。濡れたって大したことないし」 逆に柔らかな雨が心地良いとすら感じる。 それが伝わったのか、子供はそれ以上なにも言わずに雲雀と手を繋ぎ、膝の上の子供の頭を撫でてやっている。 ぼんやりとその様子を眺めていると、すぐに電話が通じた。 「もしもし?」 『ヒバリさんですか?』 相手の声を待たずに言葉を発すれば、確認するように名前を呼ばれた。 雲雀は相手の声に聞き覚えが無いが、当然むこうはTOPに近い雲雀の声を知っているのだろう。 第一、かけた携帯の番号は登録されているから、表示を見れば誰だかすぐわかる。 「うん、そう。迎えを寄越してくれる?」 先に帰った部下により、雲雀が歩いて帰ることは伝えられているはずだ。 自分で歩くと言ったくせに、迎えを寄越せというワガママ。 だが、雲雀の気まぐれはいつものことで、それさえも許されている人間だった。 電話に出た男は異議もはさまず受諾する。 『わかりました。すぐに向かいます、場所のほうは?』 問い掛ける男に簡潔に現在地を伝え、雲雀は携帯を切った。 大人しく雲雀と男の通話に耳を傾けていた子供が、ふと顔を上げて携帯を出したポケットにしまっている雲雀に話し掛けた。 「ヒバリって言うんですか?」 異国の言葉を話す人間独特のイントネーション。 それに、ああそういえば名乗ってさえなかったかと雲雀は自分の間抜けさに、少し笑った。 この黒髪の子供の名前さえ、聞いてない。 そんな子供を安易に拾おうと決めたのだから、雲雀も随分物好きになったものだ。 きっと、回りの影響を受けたのだろう。 自嘲する雲雀に、子供は、期待する眼差しを向けて来る。 「それは姓。僕の名前は、『恭弥』」 「キョーヤ」 答えた雲雀の名前を確かめるように、少し違う発音で、子供は鸚鵡返しにする。 「そう。雲雀恭弥が、僕の名前」 頷いて、子供にしてみれば絵にでも見えるような漢字を宙に綴ってやる。 「日本――僕の生まれた国では、名前じゃなくて、姓が先にくるんだよ」 「ヒバリ、キョーヤ…きれいな響きですね」 何度も「キョーヤ」と繰り返して、子供は静かに笑った。 ひどく嬉しげな、満ち足りた表情だった。 「ありがとう。君の呼び方は、ちょっと発音が違うけどね」 「そうですか?それなら、直します」 「別にそのままでもいいけど…、君、僕のこと名前で呼ぶ気?」 「いけないんですか?」 「…僕、下の名前で呼ぶのを許してる相手なんて、滅多にいないんだけど」 引退したとはいえ、まだ未熟な10代目を見護る、偉大なボンゴレの9代目。彼のことは、雲雀も素直に敬う事が出来るから。 後はその偉大なるゴッド・ファーザーに長年仕えてきた、傘下ファミリーのボス、数人。彼らは若い雲雀を、まるで孫のように扱い、時には規律から逸脱しかねない雲雀の行動さえ、笑って宥める。 そして、10代目を継いだ青年と、最強の名を欲しい侭にしている、少年のヒット・マン。 この幾人にしか、許していない。 その一人である10代目でさえ気兼ねしてか、普段は「雲雀さん」と苗字に敬称をつけて呼んでいるのだ。 その名前をこの子供に許すのは、少しばかり抵抗がある。 だが、考えてみればこれからずっと一緒に暮らす相手に、苗字を呼ばせるのもどうだろう。 子供二人は、これから雲雀のテリトリーに入るのだ。 雲雀が、近づくなと暗に張った境界線のこちら側に、自ら招きいれて。 なら、呼ばせてもいいだろう。 呼ばせないほうが、可笑しい。 「…そうだね、構わないよ。名前で呼ぶといい」 許可を与えると、子供はにこやかに礼を言った。 「それで、君の名前は?」 拾った子供に尋ねると、彼はするりとその名前を口にした。 「ムクロというんです、僕は」 当然、子供――ムクロに苗字は無かった。 いつからここで生きてきたかは知らないが、名前を覚えているだけでも上出来だろう。自分の名前すら、知らない子供もいる。 だが、その名前は。 「むくろ…?」 呟いて、その名前を漢字に当て嵌めた雲雀は、自分の子供につけるにしては、随分な名前だと顔を顰めた。 「ええ。ムクロです」 日本人でないなら、意味がないかもしれない。だが、いささかとはいえ日本人の容姿をもった子供に名付けるには、不適当な名前だ。片親か、少なくとも祖父母の誰かが日本人な筈だ。もし知らないで異国の親が名付けようとしても、止めるはずだ。 なのに、その名前の意味する事といったら。 「悪趣味にも、ほどがある」 日本語で呟いて、雲雀は骸の親を思った。自分の子供につけるにしては、悪意が深すぎる名前だ。 どうかしましたかと顔を覗き込んでくる骸に、いっそ別の名前でもつけて上げようかとも考え、しかしすぐに雲雀は打ち消した。意味を知ったところで、気にするような子供でもないだろう。そんな所が、気に入ったとも言えるのだから。 「なんでもないよ。ああ、迎えがきたみたいだ」 調度、傘をさしてこちらに歩いて来る男の姿が見えた。 近づくに連れ、赤いシャツに黒いスーツを着た人影の判別がつく。雲雀の、よく見知った顔だ。 些か不機嫌そうに立ち上がる雲雀から解かれる手を、骸も今度は引きとめようとはしなかった。 「ヒバリ」 側に来るのを待つ雲雀の名前を呼んで、歩みを速めた男に雲雀は眉を寄せた。 「なんで、君が来るわけ?」 思いっきり不機嫌そうにに睨み着けてやれば、男、山本は苦笑した。 「んな顔するなって。せっかくのキレイな顔に、皺よって取れなくなったら大変だろ?俺が来たのは、お前を迎えに行くって言うからさ」 変わってもらった。と、それこそ子供のような笑顔を見せた相手に、溜息を吐く。混じった女に対するような賛辞も、今さらだ。何度叩きのめした所で、聞きやしない。 「物好き」 「そうかあ?ヒバリ、結構もてるんだぜ?」 「ふざけたこと言わないでくれる?ここに捨ててくよ」 「うわ、それマジ勘弁。こんな所に捨てられたら、オレ泣いちゃう」 「だったら黙って」 「わかった。って、ヒバリ。そいつらなに?」 話す二人の横で、骸が眠るケンを起こしている。その子供二人を指差して、山本は不可解そうに首を傾げた。 「起きなさい、ケン」 「ん〜…ムクロさ…ん…?」 揺すられて、目を擦りながら起き上がったケンは、まず骸を見てへにゃりと笑い、ついで傍に居る大人二人を見てギョッとした。 すぐさま体を屈めて身構えた犬は、しかしよしなさいと言う骸の優しい声に力を抜いた。 だが、なぜこんな状況になっているのか訳がわからず、不思議そうに三人に視線を行ったり来たりさせる。 ケンにとって大人とは、暴力をふるい、手に入れた食料や金銭を奪っていく敵以外の何物でもない。それはケン以上に、骸が熟知している事のはずだ。 混乱するケンを、宥めるように骸が優しく頭を撫でてやる。 その二人のやりとりを横目に眺めていた雲雀は、向かい合った山本に腕を組んで簡潔に述べた。 「拾った」 「おいおい、ヒバリ〜」 思わず、山本は天を仰いだ。 仰いだところで、見えるのは傘のビニールだけだが。 「うるさいよ。僕が面倒見るんだから、君には関係ないでしょ」 「つったって、犬猫じゃないんだから。屋敷に入れるなんて…許可とってねぇんだろ?」 「どうせ許可されるよ」 雲雀の信用は厚い。それだけの実力も、見えないかもしれないが、忠誠も持っている。 しかも参謀的な役割もこなす雲雀は、上からの許可なしに動いても大抵の事は許されていた。 「かもしんねぇけど…さすがに、背後もはっきりしてねぇガキを入れるのは…赤ん坊ならともかくさぁ」 この世界、骸達くらいの年齢になれば、立派にヒットマンとして働ける。 逆に、子供だからと言う理由で油断され、仕事がやりやすくなるくらいだ。 なんの関係も無いストリートチルドレン達を金でつって、要人を暗殺させる輩も多い。 「知らない」 そんな事は関係無いのだと、雲雀はそっぽを向いた。 「ヒバリ」 これには流石に山本も甘い顔をしてられない。今までの緩んだ雰囲気を一変させて、凄む。 「わかってるのかよ、お前の気まぐれで…」 「うるさいよ、山本。それくらい、君に言われなくったって理解してるよ」 「だったら…」 なぜと続けるはずの言葉は、雲雀の笑みに掻き消された。 「心配なんて、する必要ないよ」 艶然と、雲雀は睦言でも囁くかのように宣言した。 「もしそうだったら、そんな事が起こる前に、僕が噛み殺す」 絶対の自信と、矜持を持って。 彼は、ボスたちの寵愛と恩恵を受けてきた。 向けられたそれに、相応しいだけの功績を立てて。 それを、裏切ったりはしない。 その誇り高い、女王然とした態度に、山本は溜息をついて諦めた。 彼はそう言ったのなら、確実にそうするのだろう。 もし骸たちが牙を向けたなら、躊躇せずに瞬時にその命を屠ることをやってのける。 それが、雲雀だ。 仕方ない。雲雀がその意志を曲げる事など、滅多にないのだから。 なにか起こった時は、山本達も当然フォローに回るのだし。 「わかった。けど、知らねぇぞ。リボーンがなに言っても」 「いらないよ。リボーンは、きっと賛成してくれるだろうからね。それで?車はどこ」 「あっち」 リボーンの名に、雲雀はふっと顔を緩める。あいかわらず、雲雀はリボーン贔屓だ。どこか甘いその顔に溜息をついて、山本は歩き出す。 その後を追うために、雲雀は置いた傘を拾って、骸の手を取った。 物騒な会話に警戒して身を固くするケンと異なり、やはり穏やかに、だが、雲雀がリボーンという名に表情を和らげた時だけ、なぜか一瞬瞳に不穏な物を走らせて、笑って待っていた骸は、自分を殺すと宣言した雲雀の手を、なんの躊躇いも無く握り返した。 骸は雲雀と一緒に歩き出して、まだ背後でどうしようかと立ち尽くしているケンを振り返った。 「なにをしてるんですか、ケン。行きますよ」 それに、一瞬躊躇って、だがケンはすぐさま駆け出した。追いついた骸の、雲雀と繋いだのとは反対の手を取って、並んで歩き始める。 雲雀はちらちらと此方を盗み見るケンに一瞬だけ笑いかけて、後はもう気を払わずに普段と変わりない歩調で歩き続けた。 かわらず握り締められたその手に、何故か鎖を巻きつけられたような幻をみた。 こんばんは。生温い連載第二回目です。 かけるうちにかいて、完結させたいちゃいと思います。 なので、暫くムクヒバ更新はこの連載が多いかと。 しかしおかしい。 3回くらいで終わるはずだったのに、いまだこんな所… そしてパソコンが凍り付いて、動かなくなって昼間書けなくてこんな時間に… 本格的にヤバイぜ、マイ・パソ。君に、心の領域に踏み入る事を許した午後 |