兄は繊細な人だった。

 

周りの級友たちは、凶暴だ怖い最強の不良だと騒ぐけれど、骸に言わせてもらえば兄ほど傷つきやすく脆い人はいなかった。

それを隠すために仰々しいを肩書きを貼り付けているだけで、それを剥がしてしまえば、中身はあの幼い頃から何一つ変わっていない。

 

むしろ礼儀正しく人当たりがいいと言われる骸の方が凶悪で性質が悪く、内に秘めた狂気でいえば上だった。

その証拠に、両親は兄ではなく骸を恐れた。

骸は、その兇状を隠す為に兄と正反対の仮面を被っているにすぎない。

 

面白いことに、兄と自分はお互いの本性を表面上のみ交換し合って生きて来た。

 

眠る君に愛を

囁く

 

「骸さ〜ん!帰りましょ〜う!」

遠くから自分を呼ぶ声に、骸は顔を上げた。

土手の上から、その下にいる骸を待つ、二つの影。

茜色の中、沈む黒は犬と千種だった。

骸がその本質を見せ、いまだ友情(といっていいのか)を持つ二人。

「今行きます!」

叫び返して、骸はたった今まで無心に蹴り続けていた黒猫を見下ろした。

最初の一蹴りで内蔵は破裂したと思う。

逃げる事も出来ずに、その場にひっくり返った体に、ひたすら足を振り下ろした。

犬が声をかけなければ、今もそうしていただろう。

緑色の眼球が飛び出して、口からは吐瀉物と血があふれている。

猫の体はもともと柔らかいが、骨と言う骨が砕けてぐにゃぐにゃで、女性が好む毛皮のコートのようにただふわふわと広がる。

踏みつければ、毛皮の中からぐちゃぐちゃに潰れた臓物が出てくるかもしれない。

それも面白そうだと足を上げかけて、ああ、靴が汚れてしまうと途中で止めた。土や泥くらいだったら落ちるが、流石に血は落ちないだろう。

この靴は兄の恭弥が入学祝にと買ってくれたものだ。

こんな事で汚してしまっては、泣くに泣けない。骸はそれ以上、猫を、猫であった物を苛むのを諦めて大人しく犬と千種の元へ向かった。

 

「骸さーん。なにしてたんれすかぁ?」

先を行っていた犬が、振り返って後ろ向きに歩きながら、骸に問い掛けてきた。

横を歩く千種も知りたそうだ。

「大した事じゃありませんよ」

薄く微笑してはぐらかす骸に、二人は不満そうだが、本当にたいしたことのない、話す価値もない事だったから骸には答えようもなくて、無言を通した。

別に、あの猫が骸に何かしたわけではない。

ただ、見知らぬ他人に懐いてすり寄っていただけで。

それが白や茶、縞や三毛だったなら、骸も許せたのに。

猫の色が、黒だったのがいけない。

黒猫と言うのは、恭弥を連想させる。

あのつんと頭をそびやかし、艶やかな漆黒の糸に光を弾く様は。

だから、気にくわなった。

恭弥に似たものが、骸ではない誰かに身を任せるなんて、そんな事は到底容認できるものではない。

本人でなくとも、類似品ですら許せない。

骸自身、同性の、しかも兄に対して向けるには過ぎる感情だとは思う。だが、こればかりはどうしようもなかった。

物心つく以前から、あの兄だけが骸にとって執着の対象で、愛情の対象だった。

恭弥を自分から奪おうとするものは、例え誰であろうと排除する。

骸は、そう決めていた。

 

犬と千種と自宅近くで別れ、都心の住宅事情から見れば格段に広い家屋に帰り着く。

両親は海外赴任中で、広い家に今は骸と恭弥しか暮らしていない。

日通いの家政婦は家事をこなし、二人が学校から戻るまでには帰っている。

なににも煩わされる事なく、二人だけで過ごせる。

骸にとってこれ以上無い環境だ。

玄関の鍵を開けようとして、骸はその鍵が開いている事に気づいた。

恭弥が先に帰って来ているのだろうか?

普段委員会でなんやかんやと遅くなる恭弥が骸より先に帰っているのは珍しい。

「恭弥?帰っているんですか?」

ドアをあければ、案の定兄の靴が揃えて置いてあった。

骸は自身も靴を脱いで、兄の靴の隣に綺麗にそろえて、リビングへ向かう。

ダイニングと続きになったリビングで、その姿を見つけた。

大きく取られた窓から、赤い夕焼けの光が差し込んでいる。その陽射しが調度あたるゆったりとしたソファーに横になっていた兄は、骸の姿を認めると気だるげに体を起こした。

「おかえり」

「恭弥もお帰りなさい。珍しいですね、僕より早いなんて」

言いながら、多分具合が悪いんだろうと、骸は兄の夕焼けによる物ではない赤い頬を見て検討をつけた。

骸は右目が弱視だという以外はいたって健康体だが、恭弥は少し体が弱い。

小学校の頃は、何度も入退院を繰り返していた。

感受性も強く、些細な事で発熱を繰り返す所為で進級が出来ないかもしれないと危ぶまれたが、なんとか無事に進級することもできた。

それを喜んで見せた骸だが、そのまま留年して同じ学年に通いたかったと言うのが本心だった。

同じ学年は無理でも、せめて一つくらいはというのが偽らぬ本音だ。

2つ年が離れた骸と恭弥では、中学と高校は一年しか一緒に居られない。

恭弥はすぐ卒業してしまう。双子だったらよかったのにと、骸は雲雀が進級していくたびに地団駄を踏む子供のように振舞いたかった。

言ってもせんのない事だから言わないが。

カバンを脇において、兄の前に膝をつくとそっと頬を掌で包み込んで、こつりと額を触れ合わせる。

「少し、熱がありますね」

「大した事じゃないよ」

冷たい骸の手に、心地よさそうに眼を瞑りながら、恭弥はやせ我慢をはってみせる。

「ダメですよ、ちゃんとしないと。前みたいに、倒れたらどうするんですか」

以前、大丈夫だと言い張って、結局入院してしまった事があるのだ。

目撃者が少数だったとはいえ学校内で倒れた恥さらしもいい所の失敗を引き合いに出され、むっと口をへの字に曲げた兄に笑いながら、骸は頬を包んだ手の指を動かし、唇を撫でる。

「唇も――乾いていますね」

かさかさになってしまった唇を痛ましげに見つめ、骸は薬を取りにいこうと手を離そうとした。

しかし、それは兄の手によって阻まれた。

「恭弥」

離れていこうとした骸の手を、恭弥の手が上から抑えている。

「いらない」

「ですが…」

「骸がいればいいよ。骸の手、冷たくて気持ち良いから」

引き離そうと動かした手に、うっとりと頬を寄せて兄は笑う。

もとより、兄に逆らいきれない弟は、そうまで言われてしまえば全面降伏するしかない。

「わかりました。ですが、せめてベットに移りませんか?ここでは体を冷やします」

そう言えば、恭弥は黙って身を任せてくる。

細く、熱を帯びた兄の体を抱き上げ、寝室に運び込む。

落ち着いたモノトーンでそろえられた部屋のベットに、腕に抱いた体を横たえながら、こんな時、骸はいつも思う。

いっそ、このまま全て奪ってしまおうか。

兄の全てに、隅々まで自分の所有印を刻み付けたい。

それはいつだって骸の芯に喰い込んで離れない、渇望だった。

じっと見下ろして動かなくなった骸を、恭弥は訝しげに見上げた。

「どうしたの…?」

頼りない声に、なんでもありませんと首を振って、骸は恭弥の横に滑り込む。

幼い頃からよく一緒に寝ていた上、育ってからもよく寝込む恭弥の看病に付き添っていた所為で、この年の兄弟にしては二人は同じベットに入る事に抵抗感はない。むしろ、弟が入ってこないと逆に恭弥は不安になる。

体が弱っている時は、特に。

体を冷やす、自身よりも低い体温を求めて、胸に抱きついてくる恭弥を抱きとめて、骸は彼の黒髪を撫でる。

自分とよく似た髪質。

全体でみれば似ていなくとも、個々のパーツで見てみればよく似ていて、紛れも無く、彼等は兄弟だった。

それに、ちくりとした胸の痛みを覚える。

「恭弥……」

「なに?」

「愛していますよ」

「ワオ。なに今更いってるの。聞き飽きたよ?」

自分の冷たい身体にピタリと添って、クスクスとおかしげに笑う恭弥の額に口付けて、そうですね、と呟いて眼を伏せると、骸は己の胸に預けられた恭弥の頭に顔を寄せた。

 

彼にとって自分は弟で、それ以上でも以下でもない。

だけど、自分以上に恭弥に近い者もいない。

彼がこんな風に、身を任せるのは、弱さを見せるのは自分だけだ。

 

恭弥に自分以上に近付こうとするモノは、許さない。

 

そういう意味では、現状も悪くはないと骸は思う。

最強の不良と、遠巻きにされる恭弥に接近しようとするものは皆無で、骸は安心して日々を送れる。

 

 

いつか、この関係は壊れてしまうだろうけれど、それまでは、このぬるま湯のような関係に浸っていたかった―――

 

 

 

 

 

 

はい。ムクヒバ兄弟パラレル。

この関係、まんま「サニー・レイニー・ディ」に流用できます。(向こうは肉体関係あるけどな)

まぁ、大人雲雀子供骸は、こんな様な雰囲気でずっと行くんだとおもってくだされば。

47号の如く猫被ってる骸ですが、やっぱり時々物騒なんで、「なんとなく怖い」と言われることもございます。

ワガママだから…触れる時、兄が身を任せてくれるのが嬉しかった