その扉を前にして初老の男は首をかしげた。

(はて、ここは本当に探偵事務所なのか…)

 英国風の扉に嵌まった透明なガラスには瀟洒なエッチングが施されている。白く浮かび上がる蔓草模様の枠内に名称らしいローマ字が並ぶ。踊るような筆記体で Detective office Un'allodola と書かれているのだったが、生憎と男性に意味はわからなかった。

 流麗に過ぎるほど崩されたローマ字は読み解くのさえ難しく、どうにか拾い上げてつなげても知らぬ単語ばかり。officeが事務所だというのはわかるのだが、生憎とそれ以外はちんぷんかんぷん。

 透き通ったガラス部から伺い見れる店内もまるで映画に出てくるような古書店の様相をなしている。

 さては住所を間違えたかと、男性は知人が書いてくれた地図の添えられたメモを見下ろして途方に暮れた。

 此処ならば確実だと太鼓判を押されやって来たのだが…

「どうされました?」

 突然声をかけられて、ぎょっと振り向いた先にいた相手の近さにまた驚いて固まる男に、声をかけた青年はもう一度、気遣わしげに話しかけた。

「どこか具合でも?」

 酷く端正な容貌の青年だった。

 黒髪をしているが、その肌にしろ目の色にしろ同じ人種ではないだろう。

(目の、色が…)

 そこで相手の両目の色が違っていることに気づき、男は瞬く。

 それがなんとも剽軽で、青年が小さく笑った。

 人形染みてそら恐ろしい印象がやや和らぎ、男はほっとして張っていた力を抜いてぎこちなくしゃべり始めた。

「ああ、いや。大丈夫です。その、ご心配をおかけしたようで申し訳ない…」

「いえいえ。僕こそ笑ってしまって失礼を。それで、此処になにか?」

 青年は顔を逸らし、文人がこのみそうな隠れ家的な喫茶店かとも思わせる入口を示した。

「はぁ…その、探偵事務所を訪ねてきたはずなんですが…」

 男もまた同じように扉に顔を向けて眺めやり、首を振った。

「間違えたようです」

 悄然とメモを握って項垂れる男性は年齢よりも益々老いてみえ、人によっては憐れを覚えるだろう。

 生憎と青年は憐れを催すような性格ではないし、声をかけたのとて別に親切心からではなかったのだが、客人であるからには話は別だった。

「大丈夫。間違いじゃありませんよ」

 だからニッコリと先刻よりも華やいだ笑みを前面に浮かべ、がっくりと落ちた肩に黒手袋をした手を添えた。

「探偵でしょう?それは雲雀、という名では?」

「え?ええ、そうです」

「でしたら此処で間違いありませんよ」

「え!そ、そうなんですかっ」

 急に親しげになった青年と事務所名らしい文字を狼狽えて交互にし、男は頭をかいて恐縮する。

「いやお恥ずかしい。どうも英語は苦手でして」

「仕方ありませよ。これは英語ではなくイタリア語なので、大抵の方はお分かりになりません」

 恥じ入る年上の男性をにこやかに擁護しながら、青年はノブに手をかけて扉を開けた。

 内側に括り付けられているのだろうドアベルの涼やかな音色が鼓膜を心地よく震わせ、鼻孔に古びた紙の香りがふうわりと押し寄せる。

「イタリア語、ですか」

 英語を使えばとにかく恰好がつくので、最近はなんの店でも看板に使用していたりしているが、イタリア語とは珍しい。特にイタリアにちなんだ職種でもないのにと内心訝しんだのを察したのか、説明が付け加えられた。

「僕の生まれがあちらなんです。それで事務所名もついついそうしてしまったんですよ」

 言葉にでは彼が知人が言っていた探偵かとその若さに驚きながら、しかし話とは随分と人柄が違うようだと柔和な笑顔に疑問を抱く。

 知人は雲雀探偵は気難く愛想が悪いし、内容が気に入らなければ依頼を受けたりもしないと散々脅されていただけに少々戸惑う。

 しかし、いくら気分屋でも仕事がなければ生活が立ち行かないのだろうから、それでこんなに歓迎されているのだろうと考えて男性は納得した。

「立ち話もなんですし、どうぞ」

 だからそっと肩を押されて誘われるがまま彼は店内に踏み入った。

 ドアの中は薄暗く、覗きこんだ通りまるで図書館のような造りをしている。

 入口に対して随分と広いのに驚き、ついつい男性が不躾に見回そうとしたのを咎めるように地を這う声が寄こされた。

「うるさいよ。僕の睡眠を邪魔するなんて、いい度胸だね」

 不愉快を如実に告げる言葉は、ぽかりと左側に空いたスペースが発信地だった。

 そこは右から等間隔で陳列する本棚からは外れ、ソファやら足の低いテーブルやらが並び奥にはドアの蔓草と似たような彫刻のどっしりと重厚な机が構える。アンティークらしいが、それがどうやらオフィスデスクのようで数冊の本の他、書類の束や近代的にパソコンが乗っていた。

 声の主人は仕事場にはおらず、手前のソファからむくりと起き上がって姿をみせた。

 ふぁ、あ、と慎ましく口元を手で蔽い隠して欠伸をした人物は、切れあがった漆黒の眼をじろりと向けてきた。

 眼尻に涙を浮かべて潤んだ顔は、男だと分かっていてもどきりとするほど大層色っぽいが、如何せん怖すぎて見惚れるよりも硬直する。

「やっぱり帰ってましたか。先日の電話の話で今日だと思って、買いに行ってたんですよ」

 しかし初老の男性と反対に青年は非常に嬉しげな声を上げて急ぎ足で歩きだし、起きぬけの青年に下げていた紙袋を手渡した。

「あわ家の栗きんつばと新作の栗粉餅ですよ。お好きでしょう」

 カサとも音がしなかったからだろうか。手荷物を持っていたことにまるで気付けなかった男性は、にこにこと本当に嬉しそうな青年の笑顔に、ああ、さっきまでのうは営業スマイルだったのだなぁと据わりが悪くなった。

「ふうん…並盛亭の芋羊羹はないの」

 心なしか機嫌が治ったようであるのに、あくまでも難癖をつけるのにも赤と青の瞳をした青年は気分を害した風もない。

「そんなに一度に食べたら具合が悪くなりますよ。また明後日辺り買いに出ますから。成果はどうでした?」

「まあまあだったよ。ひとつBランクの指輪を見つけたから」

「それはおめでとうございます。僕の方もいい情報仕入れてますよ」

「そう。で、そっちは?」

 がさごそと包装紙を剥いで早速中身を取り出しにかかる暴虐無人物は、横柄に入り口を指し示す。

「お客様です」

 それにお茶の支度に取りかかっていた青年は胸を張って答え、放り出していた当の客人をくるりと振り返った。

 聞いておきながら興味がないと態度からして明白な人物に、これはもしやと薄々感づき始めていた訪問者は、そのキャッチセールスばりの笑顔に退いた。しかし浮足立った彼はまったく関係なしに、栗きんつばを頬張る相手を自慢げに紹介した。

「彼が当事務所が誇る雲雀探偵です。僕は、助手の六道と」

 一人意気揚揚と名乗った青年のにこやかさに改めて差し向い、

 

(胡散臭い)

 

 と依頼人が思ったのは、致し方ならぬ事だろう。

 

 

探偵と助手

 

 

 

雲雀は指輪やボックス探しであっちこっち飛び回ってます。

骸は相変わらず水牢です。

なぜこんな事してるのかと言えば、贔屓にしてた表向き古書店、裏は情報屋のお爺さんが引退するというので雲雀さんが店ごと伝手を買い取ったのが切っ掛け。

古書店じゃつまらなさ過ぎると、暇と遊び心にあかせて骸が探偵を開業(体は子供、頭脳は大人な某探偵漫画(千種所有)を読破した直後だったらしいです)。

オーナーは雲雀だし、場所が並盛町だったので探偵は雲雀にした方がいいだろうと事務所名は「雲雀探偵事務所」。

雲雀の名前を掲げるだけで、大抵の問題が解決するのが並盛ですから。

もちろん依頼なんて滅多に受けません。店番も普段は雲雀の部下の情報収集しながらしています。

雲雀が並盛に帰ってて、気がむいて直接訪れた時にだけ骸も出現する始末でほとんと開店休業。

遭遇するの事態がすごい確率なので、依頼を受けてもらえるのなんて夢のまた夢。

ただし並盛内の事件だった場合は、受けてもらえう可能性が上がります。