なにか得体の知れない企みを孕んで低く笑う男の声を聞くことが不快だった。

 男は常になにか胸に一物抱えているように見受けられる。それは雲雀だけの見解ではなく、大抵の人物が彼に相対すれば感じることだ。

「酷い誤解です」

 警戒を顕わに間仕切りを建てられ距離を置かれるのに、青年は眦を下げていかにも哀れっぽく言いつのる。心優しい(雲雀に言わせれば惰弱なだけだが)童顔の名目上だけのボスは、そうされると慌てて謝罪を重ね張り巡らせた警戒を取り払うが、その背後から胡散臭そうに睨み付けている腹心とやらの方が正解だ。

 青年の申告する通りに周囲の誇大妄想で、本当は策謀なんて巡らせていないのかも知れないが、そういう印象をのべつくまなく与える男自身に問題はある。

 普段からの行いが、まず宜しくない。

 実際になにも謀んでいない時もあるかもしれない。しかし往々にして骸は必ず向き合う相手にたいして己の益になるように働きかけを陰に日向に行っている。

 大体にして胸に一物どころか十も二十も抱えているだけに、進行させている一件に関係無い相手といるときだとて常に頭の何処かで策略を巡らせているのだから油断のならなさが滲み出るのは当然。

 しかも現時点で関連は無かろうと、先々まで視野に入れてみれば必ず関連づけられている。それでなくとも広くて狭い社会の暗部では、どうしたって一つの波紋が大きな波となるのは避けられない。今歓談している相手に対しては何も仕掛けていなくても、後になって間接的に大きなうねりが押し寄せる。

 そうと分かっていながら直接的に仕掛けた事柄で無い限り、骸は知らぬ存ぜぬ、僕の所為じゃありませんよと、ぬけぬけと言ってのけ、腹立たしい笑顔でしらっと責任放棄する。

 それに雲雀はしっかりばっちりと目にしてしまっている。

 綱吉青年が罪悪感を抱いて申し訳なさそうに声を掛けるのに、態とらしいまでの善良な表情を形作っていた骸の秀麗な顔に嵌ったあの異色の眼。そこにたゆたう闇がぞろりと蠢くのを。

 超直感とやらに触ったらしく、一瞬だけ違和感に首を傾げるも仲間なんだからと盲目になっているボスは掠めた尾を敢えて逃し、腹心は気付かない。

 まったく持って呆れかえるほどの牧暢さ。

 何度も騙くらかされて学習もしているだろうに、懲りた様子もなく信じようとするのは問題だ。「そこがツナのボスとして資質だぞ」と公言はしていても、信用と信頼の違い、その上に成り立つあらゆる可能性を考慮して部下を扱って行く事をこそ、かの赤ん坊が望んでいるのは明白である。

 この様子では最強のヒットマンが家庭教師を廃業して本職に戻るのはまだまだ先のようだ。

 

 

LoveScene

 

 

 下らない遣り取りを眺めるのにも厭きた雲雀は横を向き、悪びれずに欠伸してソファにさらに大きくもたれ掛かった。腰を擦り下げて殆ど寝転ぶように黒革に埋まって、座り心地がいいなこれ、と口元を弛ませる。程よく眠りを誘発する弾力に皮膚にあたる革の柔らかな滑らかさ。

(哲に言って、僕の部屋にも入れさせよう…)

 雲雀はゆるゆると掌を彼方此方に彷徨わせ、触覚による悦を堪能する。

 背もたれから座面へと。直角とは言い難い折れ曲がった接合部に、甲よりも指が長い細長い手を潜り込ませ、包み込まれる感触にしばしうっとりとして、狭間ばかりを行き来する。生物の革を精製したカバーは始めひんやりしている。だが芯まで凍りつかせるような冷たさとは異なって直に温もり、やわやわと吸い付くよう。それを十分に味わってから、雲雀は其処から手を抜き出す。そのまま広い座席部分の摩擦を愉しもうと雲雀が掌を泳がすのを妨害するように、重しが乗せられた。

「公衆の面前でそういう如何わしい行いは謹んだ方がいいですよ、雲雀くん」

 近付いてくる人物がいるのは承知していた。それが退けたい相手でも無かったので接近を阻まなかった雲雀だが、まさかこんな行動を取られるとは思いも寄らなかった。

 きっちりと切り揃えられた爪が綺麗に並ぶ指を広げた雲雀の手の上に、骸が座ってきたのだ。

 敢えて下敷きにして邪魔をしたのだと言われても、しかし特に腹は立たない。むしろ興味をそそられる。

 押さえ込まれたは押さえ込まれたが、指の部分だけで殆ど手の甲は押さえられていないので直ぐにも逃げられる。

 敷いているのが体重の一番掛かる臀部ではなく太腿という事もあり、大して重くも感じなかったので、このままでもいいかと雲雀は下敷きにされた手を放って、ボスとの会話を切り上げ隣に腰を落とした青年を見遣った。

「なにが如何わしいの」

 癇癪も起こさず悠然と己と対峙する雲雀に、そのシャープになった頬の輪郭に代表される身体のみならず、精神も大人になったなぁと過ぎ去った年月に骸は感慨深くなる。

 己が注目されることも、群れと認識するに至る人数が揃っている事にも、年を重ねた雲雀はさほど顕著に牙を剥き出しにはしない。

 許容とも受容とも違うそれは、視界に入れていないだけだ。

 テリトリーが広がるに連れて増加の一途を辿るストレスの元凶を、視野の外に置く術を必要に迫られて身につけた雲雀はある程度までならば看過する。感心するほどの熱意と執着を持ち続ける反面、徹底的に淡泊なのは、昔も今も変わらぬ雲雀の性質だった。

 そして雲雀の愛すべき我が儘さ、傲岸不遜な可愛らしさは相も変わらずだった。

 一室に集まった人数を鑑みるに部屋に置かれた応接セットでは席数がギリギリである。にもかかわらず多人数用のソファを悠々と独り占めしていた雲雀のお陰で、あぶれた数人は銘々に壁やらローチェストやらに寄りかかって過ごしている。

 肘掛けが欲しくて端に座っている癖に、人が来るのを許さなかった雲雀の隣がようやく埋まったのは、ともかく周囲からしてみれば座り方を抜いてすら快挙と言えることは確かだった。中学時代よりかは人慣れをした雲雀であるが、それでも近距離への接近を拒むのは変わらないのだ。

 それが己にだけは容易く接触を許しているように見えている事を骸は十全に理解しているが、当事者たる雲雀は理解していないだろう。

 当座の上司と、同じ守護者の銘を冠される者達から送られる驚歎の混じった興味深げな視線を示唆した当人の癖に余所にして、骸は雲雀の手とソファの間に掌を上にして指を潜らせた。掬うようにして重しとしている自分の足下から雲雀の手を抜き取る。

「触り方が、ですかね」

 取った手に更に指を絡めて握りしめて引き寄せ、戦闘でだろうか。白い筋が短く一本だけ入った小指の爪に唇を押し当てた。

「君のそれは?」

「労りと親愛表現です」

「ふうん。僕にとっては、これの方が如何わしいよ」

「ぐっ」

 骸の鳩尾に膝を入れて、雲雀は悶絶してソファに突っ伏した青年に尻目にスイと立ち上がった。

「帰る」

 宣言して引き留める間もなく颯爽と扉の外に消えてしまった凛とした後姿に、綱吉は頭を抱えて元凶を恨めしげに見た。

「あ〜もう!珍しく顔を出してくれたのにぃ」

「やりすぎましたかねぇ」

 スキンシップの許容範囲を地道に広げていった骸は、さっきまでの痛がりようなどなかったように、けろりと顔を上げる。

「ったりめーだろ」

「やりすぎだよ。雲雀さんに聞いてほしい事だってあったのに」

 目の前で情交に通じる甘ったるい遣り取りを見せられた極寺がぶつくさと文句を呟くのに便乗して注意を催しながら、綱吉は幻術で最初から痛くないのに態々ああいう演技をするところが骸だよなぁとシミジミとしてまう。

「それは失礼を。でも、あれはちょっと戻ってきてはくれそうにないですよ。おとなしく次の機会にしたら如何です?」

「次じゃ遅いんだよ」

「そうですか。まぁ、僕もこの辺でお暇しますよ。これでも忙しい身の上でしてね」

 飄々と悪びれずに笑って骸までもがどろんと姿を消してしまった結果、守護者は5人。

 勝手気ままな二人に、いつものことながら大きな溜息を禁じ得ない綱吉と同じく、憤懣やるせない極寺は悪態をつく。

「な〜にが忙しいんだかですよね、十代目。禁固の癖に」

「そうだねぇ」

 どうせまた脱走の手筈なんだとは分かっていても、心情としては知らぬ存ぜぬを通してやりたいので、気の抜けた返事にもなってしまう。それが分かっているのか分かっていないのか、二名の退出を気にもしていない他とは違って右腕を自負する青年だけが気遣わしげきに声をかけてくる。

「雲雀のほうは、連れ戻してきましょうか?まだ城内から出てはいないでしょう」

「あ〜それはダメだよ、極寺くん」

「ですがっ」

「馬に蹴られて死んじゃうからね」

 苦笑して、今現在きっとこの城の何処かで繰り広げられているだろうラブシーンを想像した綱吉は、早く京子ちゃんと結婚したいなぁ、と呟いた。