fede

 

それは小さな箱である。

ささやかな装飾の施された、豪奢でもなんでもない箱。

しかしそれは計り知れない価値を秘めた、力を与えるものだった。

その箱や、かつて己の指に嵌めていた存在に比べたら、いくらでも存在するとは言い難いが、無価値に等しい指輪を手の中で遊ばせながら件のボックスを眺め、雲雀は嘆息する。

あの、入手した経緯は不本意とはいえ、己が所有していた雲のリングを失ったのは返す返すも口惜しい。ボックスがいかに高性能かつ使用者の能力が高くとも、レベルの低いリングでは、双方を生かし切れない。後の事など考えずに使い捨てにしているとはいえ、あまりにも脆すぎるリングは送りこまれる炎の負荷に耐えきれず砕けてしまう。ほんの少し大技を繰り出そうとしただけでもう駄目。

雲のリングを所持していたときに比べ繰り出せる技の幅も威力も否応なく狭められた。

力があるのに、思うさま振るえないというのはとてつもなくストレスがたまる。

おまけにその能力も上限も未知数なままであるからして、ボックスの解析も進まない。

何が出来るか、出来ないかを知るのはとても重要なことだというのに。

本当に、あの人物はよけいなことをしてくれたものだ。

眉間に皺を寄せて、雲雀はリングをぞんざいに投げ出すと、腰掛けていたソファの背もたれに深く深く埋もれた。

使い勝手がけしてよくない、粗悪品には嫌気がさす。

弧すら描かずに落ち、フローリングに敷き詰められた新緑色をしたカーペットを音もなく鈍く転ってやがて静止した指輪に、向かいでノート型のパソコンを使って何かしらの作業していた骸が柔らかな動作で立ち上がった。

青年は天井につり下がるシャンデリアの光芒を控えめに反射させる指輪を拾い上げ、むっつりと唇を引き結び瞳を伏せてしまった雲雀に苦笑と共に差し出してくる。

「どうぞ」

かけられた声に見上げた先の、まるで出来のいい戯画のように精巧だが薄っぺらい笑みが張り付いた面貌に雲雀の気分はますます鬱屈とした。

嫌気が指すと言えば、この男と同じ場所で息をしていることもだ。

空々しい笑いを見ていたくなくて顔を背け、沈痛に男の呼吸が止まってしまえいいのにと内心独白する。

言えば鬱陶しいこの男は本当に止めてみせるので、言わないが。

それで実際死んでしまうようなら一向に構わないのだが、どういった原理か酸素の吸入を止めたくらいではビクともしないこの男は代わらずにこやかに笑って話しかけてくるだろう。

「雲雀君、それはちょっと誤解というか偏見です。さすがの僕も息を止めたら死にますよ」

自身の思考が妙な具合に連結された男にだだ漏れであるのにもいい加減慣れてきた雲雀は、内心を覗き見したような男の言動も最近では許容できるようになった。領域を土足で踏み荒らされるような怒りは無くもないが、それらは不本意ながらも男と付き合いをもつ中で否応なく覚えた、忍耐とか我慢とか諦めによって押さえ込める範囲だ。いちいち目くじらを立てるだけ無駄な気力を使うだけだ。

別に、覗かれて困るようなこともない。と、のらりくらりとこちらの追撃をかわし、頑として繋がりを解こうとしない骸に苦渋に充ち満ちて自身を無理矢理納得させている雲雀は、胡散臭そうに相手を伺う。

「死ぬの」

「死にます」

端的な質問に同じく端的にきっぱりと頷いて答えた男に、雲雀は

「じゃあ止めて」

とあっさりと望みを口にした。

「はい」

反論もせず従順に、骸はがぼっと両の手のひらで鼻と口を覆った。その子供じみて馬鹿らしい、可愛くさえ在るかもしれない姿に、よりによってなぜそんな真似をするのかと呆れてしまう。ただ呼吸を止めればいいのに、こういうおかしな行動をしでかすところが憎みきれずに絆された原因だろうと雲雀は認識している。

じっと言いつけを守って息を止めている男の愛嬌ある姿を眺め、陰鬱が晴れてきた雲雀はそろそろ許してやることにした。

「もういいよ」

「そうですか?もうちょっと止めてても平気でしたよ」

あっさりと酸素不足の名残もなく、真白い顔でのたまう男にいらっとしていっそ本当に死ぬまで命じてやろうかと思ったが、どうせまた阿呆な行動に気が削がれるのがオチだと心を落ち着かせ、握ったトンファーを離す。

自分でも年を取って随分丸くなったと思う。きっと十年前だったら、殴りかかってるだろうことは請け合いだ。

「どうぞ」

物思いにふけっていたら、もう一度リングを目の前に差し出された。じろりと金属の塊を睨み、雲雀はぷいと顔を背けてつっぱねる。

「いらない」

「そうおっしゃらずに。こんなちゃちなリングですが、少し位は役に立つでしょう?」

骸はいつまでたっても何処か幼い仕草が可愛らしい人の手を取ってリングを通しながら、その細指に軽くキスを落とす。

気色悪いことするなと言わんばかりに相手の手から己の手指を抜き去り、中指に収まった雲属性のリングを頭上を照らす灯を遮るように掲げて眺める雲雀の目は限りなく刺々しい。

「こんな粗悪品を嵌めなきゃならないなんて、すごく不愉快なんだけど」

「それは否定しませんよ。恭弥には不似合いですね」

逃げ去った雲雀の手にもう一度触れ、宥めるように撫でながら同意する。

「今度、相応しい物を贈ります。なんの力もない、ただの指輪ですが」

サイズを確かめるように薬指の輪郭を辿る男を好きにさせながら、雲雀はそれなら君の右目をダイヤの代わりに嵌めて頂戴と強請ってみようか煩悶した。