チープメッキ

 

「骸ならいないよ」

ガチャリと玄関を開けて姿を見せた少年に虚を疲れてぽかんとしている間に出鼻を挫かれてしまった。彼の言った事は決して的外れではなく、奇しくもフリーズした脳髄を引っ掻き回してまさに問おうとしていた事だったので、またなにかを言う機会を逸してしまった。

彼、雲雀 恭弥を前にするとそれはいつもの事で、なにを言ったらいいのかわからなくなってしまって混乱しているうちに会話は途切れてしまう。

従来どおりに話は終わりだと今にも閉じようとしているドアの間に足をはさんで、接触を遮断されるのを回避して、しかし千種はどうしたら良いのかわからずに黙り込んだ。元来口下手で犬のように面白い会話も骸のようにウィットに跳んだ会話も出来ない性質だ。

無言で立ち尽くす自分をどう思ったのか、奇異なほどに黒々とした瞳でしばらく威圧された後、もう一度ドアが開放された。

「上がれば?」

愛想なんて欠片も無く誘って、千種を待つことも無く華奢な背中を向けた雲雀は部屋の中へと消えていってしまった。

それを見送った千種は暫しどうすべきか逡巡する。

この部屋は千種の大切な骸の住居の一つではあるのだが、それだけではなく、骸がただ一人執着を持って繋ぎとめている愛人の訪れる部屋でもあった。

骸はその性質や仕事柄どうしても命を狙われるわけで、数多くの隠れ家や住処を持って、それらを転々としていたから、居場所を特定するのは難しい。基本的に行動を共にする千種や犬ではあるが、骸が単独行動をする時だって勿論ある。単独行動をする時の骸は携帯も切ってしまって連絡手段を一切残してはくれない。だから連絡を取りたくなった場合、教えられている限りの滞在先をしらみつぶしに当たって行くしか方法は無いのだ。

だが、それはさほど難しいというわけでもない。

連絡を絶つときの骸は大抵千種が今尋ねて来ている部屋。すなわち雲雀との逢瀬の場であるこの部屋に訪れているのだ。

雲雀も住居はちゃんと別にあって、この部屋には骸から渡されている合鍵で気紛れに姿を見せるだけらしい。骸はどうしてか雲雀が来ているのを察知して、時にはかかずらっていた仕事すら放棄して言葉通り飛んでいく。

邪魔をする事は、許されていない。

証拠に骸の潜伏先の合鍵全てを渡されている犬と千種であったが、この部屋の鍵だけは渡されていなかった。

雲雀は本来だったら敵方の人間なのだが、それを一切の歯牙にもかけずに口説き落として(呆れさせて)どうにか今の関係にまで持ってきた骸は、彼との時間に他者が介在するのを事の外嫌う。

先ほど千種は雲雀の事を愛人、と形容したが、それは可笑しいかもしれない。

雲雀は穿つまでも無く骸の特別で、数多の女性男性と交渉をもつ彼の唯一絶対の玩具だ。

偏執的なまでの執着心と独占欲と征服欲、そして畏れでもって骸は雲雀を愛している。

世間一般的な愛情とはかけ離れた感情での愛はそれでも正しく愛であって、骸の中のどんな物よりも美しく崇高な物だと千種は思う。

骸の中の最も濃い闇、最も強烈な狂気がその愛だった。

世界全てに向けられていた骸の狂気が雲雀一人に凝縮されて、それはより一層濃密に艶やかに輝かしく千種を魅了する。

だから千種は雲雀に触れるのに、関わるのに躊躇う。

どう扱ったらいいのかわから無いから。

骸の大切な玩具を、間違って壊したり汚してしまう事があるかもしれない。だから千種は戸惑う。

この綺麗で魅力的な骸の玩具を出来るなら千種は真綿にでもくるんで宝石箱にしまっておきたいとすら思っている。そうすればその輝きが曇る事も欠けることも無く、骸の愛する玩具のままあれるはずだ。

そして千種が目を奪われる骸の輝きもまた。

だからこの空間を土足で踏みにじるような行為をしたくないというのが本音なのだが、招かれてそれを拒絶するほど好奇心が無いわけでもなかった。

結局、千種は葛藤の末に雲雀の後を追ってその部屋に上がり込む。

「なんだ、きたんだ」

悠々とソファーに腰掛けてカップを傾けていた雲雀は顔を上げて千種を見ると意外そうな顔をした。

自分で招き入れておいておきながらあまりな台詞に千種が顔を歪めると肩をすくめて苦笑する。

「あんまり長く入ってこないから、帰るのかと思ったよ。座ってれば?もうじき帰ってくると思うし」

「・・・いないって」

「今はね。買い物に出ただけだから、もうじき帰ってくるよ」

「・・・・」

「なに?別に嘘はついてないでしょ」

「そうですね」

「おかしなこだね、君は」

不満そうに返事を返した千種に、雲雀はさして可笑しくもなさそうに笑って手元に開いていた本に視線を落とした。手持ち無沙汰に千種はぐるりと室内を見まわす。

ありふれた部屋は、ありふれた家具に囲まれて血生臭さなんて微塵も漂わずただほっとするような優しい空間に仕上がっていた。

空々しく滑稽なおままごとみたいだ。

居心地の悪さに落ち着かない時間はそれでもすぐに過ぎて、骸が帰ってきた。彼もまた妙に清清しく血臭を払拭していて、千種は余計に空言染みた空想の世界に迷い込んだような心地になる。

「千種?なぜ此処に」

いるはずの無いものを見たとでも言うように不思議そうな顔を向けられて、千種は居た堪れなさに縮こまって頭を下げた。

「すみません。でも、どうしても骸さまでなければまずい案件があって・・・」

「仕方有りませんね。恭弥、すみませんがちょっと」

大仰に溜息をついて、骸は腕に抱えていた食料品が覗く紙袋をすぐ脇にあるダイニングテーブルに下ろすと、紙面に目線を落としていた雲雀に近付いて項から指を這わせて髪を掬い上げた。他愛の無い、だが関係を匂わせる性的な接触。

「別に?僕の事なんて気にせずにさっさといけば?」

「すぐに戻ってきますから」

煩わしそうな顔をしても拒絶せずに顔を上げた雲雀と小鳥が啄ばむような軽いキスを交わして離れる、まるでありふれた恋人達のようなやり取り。

それでも千種は知っている。

そこに潜んでいるまっすぐな狂気と歪んだ熱情を。

 

先を行く骸に着いて歩いて、ふと香った甘い血臭に、ああ、やはりままごとのようだと思った。

きっとその内、彼等は昔のようにお互いの咽喉笛を狙って愛し合うのだろう。

 

 

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