[パラダイム-Paradigm]

ある一時代の人々のものの見方・考え方を根本的に規定している概念的枠組み。

天動説・地動説など

 

Paradigm Lost

 

冬の日が沈むのは早い。

窓の外の太陽が沈んで薄い黄昏色にそまった空を見て、雲雀は読んでいた書類をばさりと机の上に投げ捨てると疲れたように吐息をひとつついて立ち上がった。

上着掛けに掛けておいた学ランをとって袖を通しながら、なんとなく机の上を見れば未処理の書類が小さな山を築いている。

最近、仕事が進まない。

貯まる一方のそれは下から上がってくる議題に意識を集中しきれていない所為で、雲雀の心の乱れを如実に表していた。

いつになったら平静(平常)に戻るのかすらもわからない自分の未熟さに、雲雀はもう苛立ちも呆れも通り越していっそ無関心に投げ出してしまった。

自身で決めたやるべき事も手につかないこんな調子のおかげで、最近校内は乱れがちで風紀委員にも動揺が広がっているのも雲雀は当然知っていた。が、それをどうこうする気力が沸いて来ない。自分が制定した秩序なのだから責任を負うべきだとわかってはいても、前ほどの興味も意力も向けることは出来ないのだ。

うずたかく積もれた片付かない仕事も残って処理して行くべきなのだろうが、雲雀にはそうも出来ない理由もまたあった。

だから雲雀は今日もこうして責務を投げ出して帰途につく。

 

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生徒の殆どが帰宅したか部活動に精を出している放課後は、各クラスの教室が並ぶこの棟は閑散として独特の空気を漂わせていた。それはどこか置いていかれた子供のような心細さを誘発するもので、雲雀の足取りをさらに早いものへと変えさせる。

今の雲雀には、余り浸かっていたい雰囲気ではなかった。

足早に歩く雲雀は、そこを曲がれば生徒玄関というところの角で、風紀委員に行き会った。

「委員長」

多くの委員がそうであるように図体の大きな彼は、雲雀の進路の妨げにならないようにと慌てて脇によけて、軽く頭を下げて一礼した。大人しくそれで済ませてしまえばいいのに、戸惑いがちに雲雀を窺い見てくる。

物言いたげなその委員の視線のわずらわしさに、雲雀は反応を返さずに歩き去ろうとした。

「委員長!!」

だが、それは切羽詰ったような引き止める声に失敗に終わった。

咄嗟に足を止めてしまって、雲雀は自身の愚かさに舌打ちした。呼びかけになんか答えず、無視してしまえば良かったのに。

「・・・なに?」

明らかに不承不承とした態度で振り返った雲雀に、委員は音を立てて唾液を嚥下して、躊躇いがちに口を開いた。

「その・・・もうお帰りですか?」

「うん」

見ればわかる事を聞いてくる愚鈍さ。呼び止めたのはとっさの事で、理由なんて無かった事が明らかにわかる。それでも律儀に頷いて、返答を返してしまうのは、少しでも彼らに対してすまいないと思っているからだろうか。

自分の身勝手で縛り付けて、ほおりだしてしまうようなことをしている事に対する。

以前の雲雀だったらきっと振り回している事に罪悪感なんて抱かなかった。けれど、今それを覚えてしまうのはきっと雲雀がそれを知ってしまったから。

誰かに振り回される不安や怖れを知ってしまった。

「先日の違反所の件なんですが・・・」

「いいよ。君たちの方で適当に処分しといて」

「委員長」

明らかにされた不安。

それでも、振り返ろうとは思わなかった。

 

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学校の敷地から一歩でて、雲雀は案の定そこにいた人影にそっと眉根を寄せた。

この息も凍りつくような寒さの中、防寒具を一切着用せずに大きく並盛中学校という看板を掲げた校門に背を預けて蹲っている少年。ぎゅっと膝を抱え込んで、今にもわんわん声を上げて泣き出してしまいそうな思いつめた顔をしている。

これで、彼がこうして雲雀を待っているのは一月目だ。名前の通りにまさしく忠犬のように、彼は雲雀が学校から出てくるのを待っている。

「こんな所で待ってないで、中に入ってくれば良いって何度も言ってるでしょ」

ぱっといま気付いたように顔を上げた彼は、事実雲雀が声を掛ける今の今まで近付く気配に気づかなかったのだ。一月前までは、考えられない事だと、言われなくったってわかる。

「ここれいい」

ふるふると首を振る彼の、犬の応えも何度も繰り返された事だった。

頑なに、このぬるま湯のような学校の雰囲気を拒み、そこに変わらず浸る彼らを恨み、ただ其処から出てくる雲雀を待つ。

その答えが変わらない事を知っている雲雀は、なにも言わずに手を差し伸べた。

「帰ろうか」

繋いだ手を縋るように握り締めたのは、きっとどちらもだ。

 

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「お帰りなさい」

ドアをあければ一月ほど前からの同居人が顔を出して出迎えてくれる。変わらなさそうに見えて、やはり変わった少年にただいまと返してマンションの部屋にはいるのにも、もう慣れた。

少し前。一人で暮らしていた雲雀の部屋に、2人、同居人が増えた。

この手で倒してそれっきりだと思っていた人間。

彼を。

六道 骸を失って呆然としていた二人を、雲雀は引き取ったのだ。

否。

呆然としていたのは、二人だけじゃなかった。雲雀自身、突然置いていかれて襲った空虚に耐え切れなかったから、その隙間を埋める為に骸に繋がる彼らを傍に置こうとした。

雲雀よりも長く骸といた千種と犬の喪失感は、耐えがたいものだったろう。それこそ、身体の一部を引き剥がされたくらいに。だからなのか、二人は雲雀の提案に逆らわずに受諾した。彼らも、少しでも骸を知る相手といたかったのかもしれない。それ以来、3人の生活が始まった。

犬の手を引いたまま雲雀がダイニングに入ればふわりと暖かな空気が押し寄せて凍えた身体を温めてくれる。でも、この心までは無理だ。

部屋着に着替える気にもならず制服のままソファーに座り込んでしまえば、余計に動くのが億劫になってしまう。

投げ出した雲雀の膝に、隣に座った犬がころりと頭を乗せてきた。雲雀がその艶のないぱさぱさした髪を手慰みに弄っていると、キッチンから千種の声が聞こえた。

「ごはん、もう直ぐ出来ますから」

「うん」

頷いて、天井に取り付けられた平べったい白々とした灯りを見上げる。

食事や家事全般は千種の仕事だった。いつの間にか、そうなっていた。犬は買い物やゴミ出し、雲雀は、なにもしない。ただ、以前と変わらないようなふりをして学校に通う。

これが、日常。

穏かな、だが確実になにかが欠落して、肌寒い日々。

あの時、結局負けてしまった骸は金髪に琥珀の目をした男に連れて行かれてしまった。ただ処刑の為だけに出向いた男に。

骸の力の秘密がわかったのなら、それを封じる力も当然用意できるのだと、リボーンは言った。

そうして、六道 骸は真実この世界から姿を消した。

もう、彼は何処にもいない。

彼を愛した犬と千種の二人と、その存在を隅々にまで刻み込まれて忘れる事が出来なくなってしまった雲雀を取り残して。

決して埋められない、骸という形の空いた風穴に苦しみながら、三人は生きていくしかない。

死ぬにはその喪失はあまりにも唐突で、現実味がなさすぎた。

今だって、ひょっこりとドアを開けて帰ってくるかもしれないと心の片隅で信じている自分がいることを誰も否定できない。

 

「ああ、遅くなってしまいましたね。なんです?拗ねてるんですか、置いていったこと。次からは連れて行きますから、許してくれませんか?」

 

そんな風に、揶揄うように男が言ってくれるのを、待っている。

 

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成人前とはいえ、子供とは言えない少年が固まって寝るには少々手狭なベットの上でくっついて、雲雀と犬は最後の住人を待っていた。

「千種」

きゅっと逞しいとはほど遠い雲雀の背に腕を回して拘束してくる犬の頭を胸に埋めながら、雲雀は寝室の照明を最小にしている千種を手招いた。

「おいでよ」

口にされるまでもなく、千種は歩を進めてブランケットを捲ってベットに乗りあがってくる。近くにきたその頭を引き寄せて、雲雀がそっと額に口付けると、犬の反対へと身体を滑り込ませた千種は、雲雀の胸に顔を寄せている犬ごと抱え込むようにして雲雀を抱き締めた。

左右から二人に挟まれて抱き締められている雲雀もまた、彼らの背に腕を回す。

三人、まるで寄る辺を無くした幼子のように身体を寄せ合って眠る。

そうしなければ、眠れなかった。

この肌をピッタリとくっつけてしかいられない狭い空間が、彼らには安住の場所だった。

それでも、この空虚さは埋まらない。

綱吉は情けをかけて、千種と犬は良いように動かされていただけだから許してくれと掛け合って二人を見逃したけれど、それは余計なことだった。

いっそ、一緒に殺してくれれば良かったのだ。

例えどんなに非道な扱いを受けようと、よかったのに。

骸が好きだった。

犬も千種も、ただただ、骸が好きだった。

あの、哀しくて寂しい残酷な人が好きだった。

その端麗な容姿の下の威厳も、高邁も、慈愛もそれらすべてが偽りの虚飾にすぎなかったとしても好きだった。

だから、彼が初めて欲した、愛したかった人も、好きなのだ。

三人を包むのは薄いブランケット一枚だったが、空調で暖められた部屋では、これだけで十分だった。何より、三人で固く抱き合えば。

 

それでも。

この身体のうろは埋まらない。

 

text-s

ひさびさにネタが浮かびました。いや、なんて言うか短文じゃないネタね。

ホントだったらもっと肉付けしなきゃいけないんでしょうが、今の私には精一杯。

なんつうか、久しぶりに満足です。

小説かいたっていう気分。