不思議な夢を見た。

舞台は華美では無いが品の良い装飾を施された日本家屋で、美しい人が一人、住んでいるのだ。

 

マヨヒガ

 

気付いたら、どことも知れぬ屋敷に居た。

青々とした畳が敷き詰められたその部屋は、砂壁もまた優しい若草色に染められている。

真白い障子を通った陽射しは柔かく蕩けて暖かい。濃い飴色をした飾り棚の上に、桜の枝が花瓶に生けられている。抜け落ちた花びらがその周りに僅かに散っているのがまた美しい。

天井と鴨居との間に嵌められた欄間は勇壮な鷹と松。棚引く雲の透かし彫りも素晴らしい一品であった。

骸の美意識に充分適う、観賞に値する家屋だった。けれど骸には此処へ訪れた記憶も無ければ、見覚えも無い。

見慣れぬ室内を見回すが、なにかを特定できるような物もまた存在しなかった。

骸は、身一つで其処にいた。

つい先ほどまでは犬や千種達と、あの薄暗い廃屋にいたはず。

奇怪な事態だ。

さて、どうしたものかとのんびりと慌てもせず骸が思考をめぐらせようとした時、凛とした声が響いた。

「食べないの?」

それに、殺気を迸らせた骸は、発生源を特定して驚愕した。

声は、骸の座る調度真正面から発せられたのだ。

つい先ほどまで、其処には何者も存在しなかったはずなのに。

藺草で編まれた畳表の上に、色鮮やかな紅の振袖を纏った人が一人、静かに座していた。採光によって色無地の袖や裾に僅かに浮かび上がる地紋は流水と菊一文字。広物で幅広な花弁の大きさが揃った一重の花だ。その地紋をいくつか金糸で上からなぞっている。

雪白の肌を縁取る光すら呑み込む漆黒の髪と、それに反して刃の切っ先のような輝きを宿す瞳。切れ上がった瞳の縁は、ほんのりと赤い。

赤と、黒と、白。

瞬時に現れた事と、すっきりとした人形めいた美しい顔立ちもあいまって、まるで人ではないようだ。

「あなたは妖ですか?」

素直に口にしたそれに、その存在は笑みを閃かせた。

「おかしなことを言うね。僕が人じゃない?」

ころころと鈴を転がすような笑い声を零して、しゃんと背を伸ばして座っている彼は目の前に置かれていた器を取り、ゆっくりとその着物の採にも負けぬ紅い唇を触れさせた。

彼―――そう、女物の着物を身に着けていたが、その人物は少年だった。

合せから覗く首元の骨は随分と鋭利で、その胸は薄い。

泰然と座し、まるでお手本のように優雅に苦い緑の液体を嚥下する。

その姿を眺めているうちに驚愕も過ぎ去り、骸は落ち着いて腰を下ろすと、問いを重ねた。

「名前を聞いてもよろしいですか?」

骸はひたりと視線を据えたまま、自身の前にもいつの間にか置かれていた深色の器を取りあげる。その隣にはご丁寧に練り菓子まで添えられていた。

片手で無造作に掴むという作法に反した骸の所作に眉を顰めた少年は、それでも特になにも言わずに静かに答えた。

「雲雀」

涼やかな声に相応しい、キレイな響きの名前だった。

それが何を意味する言葉かは分らないが、少年には酷く似合いな気がした。

「ヒバリ君ですか」

「そう。さぁ、君はなにが欲しいの?」

頷いて、雲雀は猫のように悪戯っぽい顔をして、首をかしげて見せた。

「なに、とは?」

「この家を訪れたからには、必ず何かひとつを望まなければならない。そうでなければ、ここから帰す事はできないんだ。なにが欲しい?この家にあるものなら、なんでもいいよ」

雲雀は首をめぐらせて、ぽんぽんと、まるでそれが当然のことのように話を進めていく。

だが、生憎と骸には雲雀の言っている事が掴めない。

「なんですか?ほしい物?」

突然なにかひとつ所望しろと言われても、困惑することしかできない。

なにか欲しい物を言え、でなければ此処から帰さない、とは。またなんとも手前勝手で横暴な話だ。

いや、望みの物を与えるというのだから、太っ腹かつ景気のいい話ではあるのだろうが。

「なにって、ここがそういう場所だからだよ。ここにきた人物はね、何か望みの物をひとつ手にいれて帰っていく。そういう理なんだ」

だが、逆に問われた雲雀の方が理解できないとでもいいだげだ。

彼にとってそれは当たり前のことすぎた。

いつからか知れない。この屋敷は訪れた相手の望みの物を与える。そういう存在なのだ。この屋敷にある雲雀も、その理の一部。

「もう一度聞くよ。君は、なにが欲しいの?」

噛んで含めるようにゆっくりと告げて、射抜くような眼差しに見据えられ、骸は気付くと言葉を返していた。

 

「あなたが」

 

きょとりと、雲雀の瞳が瞬く。

それを言った骸自身、己がなにを言ったのか把握しかねた。

だが、目の前に座る少年を見ていて、紛れも無くそれが自身の望むものだと骸は確信する。

「僕は貴方を望みます」

吊り上がった眼を大きく見開いて、雲雀は困ったように両手に持つ器を揺らす。底の方に僅かに残った濃緑が、くるくると渦を描いた。

「僕が欲しいの?」

「ええ」

「変わった物を望むね。君がさっき言ったとおりに、僕は人では無いかもしれないのに。この屋敷には、それこそ価値など図れないほどの宝物があるんだよ?」

「構いません。僕は、貴方が欲しい」

茶器に落としていた顔を上げ、わざと脅かすように妖だと言っても、財宝にも反応を返さずに、まっすぐに自身を見詰める男に、雲雀は戸惑いしばし逡巡する。そのような事を言われたのは初めてだ。雲雀はこの屋敷において接客を勤める存在だったから、訪れた人間たちも、当然雲雀を貰う物としては数えていなかった。だが確かに雲雀はこの屋敷の主ではなく、所有物だ。望まれれば、下げ渡される物品に入る。

それに、どうせ己がいなくなっても、誰か別の者がこの屋敷に現れる。

ならば望まれて赴くのに、なんの不都合があろうか。

心を決め、雲雀はぐっと顔を上げて骸を見返した。

「いいよ。なんであろうと、君は選んだ。僕は君の物だし、君は此処から帰ることが出来る」

ぱん!と小気味良い音が鳴り響いた。骸がそちらに顔を向ければ、雲雀の時と同じように、そこにあった襖が突然大きく開け放たれていた。

白でもなく黒でもない。

その中は不思議な灰色をしている。

「其処を通っていけば、来た場所に帰れる。もういくといい」

促されて立ち上がった骸は、雲雀が坐ったまま動こうとしないことに気付いた。

「貴方は?」

己の物になると約した少年は、なぜ共に行こうとしないのか。

変わらずそこに在る雲雀は、艶やかに笑った。

「色々と後始末があるから、先に行ってて。すぐに行くよ」

「きっとですね?」

「きっとだよ。僕はもう君の物だ」

微笑む雲雀に、納得はいかなくともこれ以上此処にいることは許されないと何故か理解していた骸は、もう一度念を押して、言われたとおりにその灰色の中に呑み込まれた。

彎曲して遠ざかるその部屋から、すぐだよ――と言うまさしく告天子のような声が聞こえた。

 

ぱちりと骸が目を覚ますと、そこは見慣れた部屋の、自身のベットの中だった。

隣を見れば、眠る雲雀がいる。

しじまに沈む自室を見回して、妙な夢を見たものだと骸は笑って暖かい雲雀の身体を抱き寄せた。

朝になったら、今見た夢のことを話してやろう。

腕の中の恋人はきっとくだらないと一笑にふしてくれる事だろう。

 

そのまま、骸はもう一度夢の世界へ旅立った。