毒のようだった。

弟の美貌は、弟の母に似て毒のように甘く恐ろしい。

じわじわと侵されて、やがては狂うのだ。

 

傾ぐ世界、

天咲く華〜前編〜

 

歯車が狂いだしたのが一体いつの頃からなのか、恭弥は覚えていない。

ただ無心に向けられていた笑顔が、何時からあんな光を浮かべるようになったのか。

暗い暗い…情念の炎。

あの目がなぜ自分に憎しみを向けるようになったのか、それすらわからない。

確かに憎むには十分すぎる下地があったろう。

恭弥は父の正妻の息子で、由緒正しき華族の名門たる雲雀姓を名乗る事を許された。

一方、弟は――骸は囲われた妾の子であり、父の姓を名乗る事を許されず、母親の六道姓を使っている。

けれどそれは些細な事のはずで、昔は無邪気に笑い会っていられたのに。

父は堂々と骸と、骸の母を正妻の住まう本邸に部屋を与えて暮らさせるような男だったが、恭弥の母は、それに眉を顰めただけで、無関心を貫いていた。

恭弥の父と母はもともと政略結婚で、お互い愛情を抱いて結婚したわけでもなく、夫婦間は当初から冷め切っていた。

華族らしい高慢ささえ、魅力の一つにしか過ぎない、美しい女。彼女は、凛とした細身の身体に、時折りハッとするような妖しげな貌をして見せた。その母は恭弥が生まれたことで義務を果たしたとばかりに、趣味の華や楽曲、そして自らも若い男の愛人を侍らせ、気侭な暮らしを楽しむ遊興の人だ。

今もそれは変わらないが、だからと言って彼女が恭弥に愛情を向けなかったかといえばそうではなく、彼女は彼女なりに愛してくれている。その苦労一つしたことのない、白く柔らかい傷一つ無い指に、頭を撫でられた事もあれば、豊満とはいい難いささやかな胸の膨らみに抱き締められた事もある。

恭弥の母は存命だが、骸の母は数年前儚くなってしまった。彼女は異人の血を引く芸妓上がりで、匂いたつような色香の、だが品のよい美しい人だった。花のようなかんばせに、底無しの沼を隠していたような、恐ろしい人だったけれど。

恭弥は、彼女の美しさに見蕩れると同時に、引き込まれて溺れてしまいそうで空恐ろしくいつも直視できなかった。

その彼女に、骸は良く似ている。母譲りの青い瞳など、たいそう美しい。

そんな骸だけでなく、恭弥も父に似ているとはいい難い。兄弟は、それぞれの母に似たのだ。ただ、父の面影も探せば見つけることもできる。兄弟、親子だといって、ああ、と納得される程度には、似た所があるようだ。

恭弥の家庭はそんな風に歪んではいたが、平穏な家族ではあったはずだ。

無論、政略上の事もあり、家督を継ぐのが恭弥であることは揺ぎ無い事実だったが、父だとて骸は可愛いかろう。本妻にはばからず、屋敷に住まわせたほど愛した女の子だ。

激動の時代、幾つもの華族が落ちぶれていく中、雲雀家は事業を成功させ、今も権勢を誇る。その雲雀家の屋台骨を支える会社の一つを骸に任せ、やがては恭弥の補佐にと幼い頃から幾度も二人に向かって父は話して聞かせていた。

恭弥に才能がないのなら、全面的に骸に任せても構わないとさえ。恭弥は、血筋にうるさい親戚連中との体裁を整える為に、当主という地位にさえついていればいい、とも。

自分が出来ない存在であると言われたようで、些か腹立たしい面持ちもしたが、それでも、あの幼い頃から、骸のほうが人を使う事に長けていたのは事実だった。勉学に優れてはいても、恭弥は人と関わるのが好きではなかった。自分に擦り寄る人々が厭わしくてわざと遠ざけてしまう。それでは、確かに事業の長には向いていないだろう。華族の、傲慢な当主というには、充分だろうが。そして、こんな所が、恭弥が母に似ているといわれる点でもあるのだろう。

骸は、内心はどうであれ、にっこりと笑って相手と迎合する事が出来る性格だった。

だから、恭弥はそれはそれでいいかもしれないと思ったものだ。

骸も、笑って頷いていたはずだ。恭弥の代わりに、僕が煩わしい事は全部引き受けてあげます、と。でも、あの厭味な叔父様方や叔母様方の相手は、一緒にしてくださいね、と。

他人からはさぞかし陰惨な家庭だろうと想像されていたようだが、幼い記憶は何時だって日溜りの温かさと、光に満ちている。

いまの方が、余程息苦しい…。

 

なぜ、こんな事になってしまったのだろう。

 

ふっと浮かび上がった意識に、恭弥はぼんやりと瞬きを繰り返す。まだ、夢の中の感覚が抜けずにいる。天蓋を見詰め、恭弥は夢を反芻する。懐かしく、もの哀しい夢だった。

「なにを考えているんですか?」

突然、視界いっぱいに、わずかに幼さの残る弟の顔がひろがる。驚愕に硬直した恭弥を楽しげに見下ろし、瞬く瞳は、幼い頃、恭弥がキレイだと褒め称えたままの色彩で、ただ、そこに宿る感情だけが変わってしまった。思慕だけを浮かべていた純粋な青は、骸の母そっくりな、なにもかもを塗り込めてしまった、底無し沼に。

弟が何を思い、なにを考えているのか、その目からはもう窺えず、恭弥には骸がわからない。

覆い被さるようにして自分を覗き込む骸のその瞳からのがれようと、恭弥は顔を背けた。

「別に…なんでもないよ」

「そうですか?」

恭弥の身体に乗り上げてくる骸は、今までベットを出ていたらしい。身につけられた衣服が、それを物語っている。

どこへ、と問う気力すらない。

骸の熱量に思うさま蹂躙されて、今の今まで意識を失っていたのだ。骸を受け入れていた秘部はじんと痺れ、まだ異物が入り込んでいるような気さえする。

「寒くはありませんか?」

「…なに?」

「寒くはありませんか?先ほど、震えていたので火を起こしたんですが」

気絶していた時のことを言っているらしい。裸のまま、ブランケットも被らずにいたのだから、当然だろう。もう、秋も大分過ぎた。

「寒くは…ないよ」

答えて、よくよく意識をこらせば、ぱちぱちと薪の爆ぜる音がする。

厳かにさえ見える炎が、その熱気でもって空気をほどよく暖めている。

今の今まで、ランプによる明かりだと思っていたものもまた、その暖炉の火によってだった。

のろのろと踊る炎に目をやれば、それは随分大きな物だった。骸は、使用人を呼ばず、わざわざ自分の手で起こしたのだろうか…。

そう考えて、当然かと恭弥は嘲笑う。

こんな部屋に、誰か人を呼ぶわけにもいかないだろう。

兄を組み伏せ、いいように鳴かせた、この歪んだ空間へ。

今でも、父や屋敷の者は、仲のいい兄弟のままだと思っているのだろう。

こうしてお互いの部屋を行き来し、夜を過ごす。

そこでなにが行なわれているのかも知らずに、幼い頃のまま、話している最中に、寝てしまったのだと考えるのか。

こんなにも、関係は変質して、心は離れてしまったと言うのに。

そして、骸はなぜ、まだこうして優しくして見せたりするのだろう。

酷い事を、するのに。

震える恭弥が、風邪を引いたとて、気にしないくせに。

もっとずっと、苦しくて、痛い思いをさせるのは、骸なのだ。

「やっぱり、まだ寒いですか?」

思い出して、ぞくりと身体を竦めた恭弥に、優しく骸が問い掛けてくる。

それに首を振って、得体の知れない弟の瞳から逃れるように、ただ一時も休まずに形を変える炎を見やる。

「キレイですよね、火は」

恭弥の視線を追って、自らが起こした炎をその目に映した骸は感嘆するように言葉を零した。

それに、恭弥は同意する。

火は、キレイだ。

赤々と燃え盛り、全てを焼き尽くし、灰に変えてしまう。

糧を得て拡がる炎は、それゆえに美しい。

後に残るのが虚しい灰の山だとしても、それに惹かれずにはいられない。

「でも、恭弥の方がキレイですよ」

骸は唐突に視線を引き剥がして、自身の下にある兄を見る。

暗闇にぼんやりと浮かび上がる恭弥の白い姿態は艶めいて、骸の劣情を誘う。

所々につけられた鬱血が、花びらのようだ。

そして、一直に引かれた、幾つもの朱線。薄い胸やえぐれた脇腹。太腿や二の腕の脹脛など、皮膚の薄い、より敏感な箇所に、口付けて吸い上げると同じくして骸がその爪で着けていったものだ。

「大分、薄くなってしまいましたね」

唇でその色付いた皮膚の上を辿りながら、やはり、この程度ではダメかと骸は暗澹とした。

びくりびくりとしなる美しい恭弥の身体に、もっと酷い傷つけてやりたいのだ。

執着も顕わに執拗に恭弥の肌を撫でていた骸は、逃げる恭弥の視線の先を見て、あるものに目を止めた。

先ほど自身の手で握っていた物だ。

その時は黒色だったそれは、今は半ばまで焼けて晧々と光輝いている。

火を熾していたときのあの肌を炙る灼熱を思い起こし、骸はにこりと笑って恭弥の体の上から退いて、再びベットを降りた。

「……?」

自分から離れていった骸の背に、恭弥は訝しげな視線を送った。

けれどなにかしらの返答をくれるはずの弟は、恭弥の無言の問いには答えてくれなかった。敷き詰められた毛足の長い絨毯の上を悠然と歩き、骸は暖炉脇に置かれていた煤に薄汚れた布を手に取った。

「なに…してるの?ねぇ…」

知らず、不安げな声が出てしまい、恭弥は内心舌打ちした。今さらだとは思うが、恭弥は自身の矜持を捨てる事が出来ない。どれほど無様を晒そうと、弟に対して強く出ていたいのだ。

だがその声にすら、骸は答えなずに、ただ暖炉の前に立つ。炎は変わらず燃え盛り、なにかをする必要など無いのにだ。

恭弥の声は、相変わらず小鳥のさえずりようだと思いながら、骸はくるくると器用にその手にしていた布を巻きつけて、暖炉の火の中に埋まっていた火掻き棒を取り上げた。

眩ゆい輝きが、骸と恭弥両方の目を射る。

骸の背後で、恭弥は鋭く息を呑んだ。今までの経験から、なにをされるか当然悟ってしまった。

犯されて、自由に動かない身体で、恭弥はベットの上から逃げようと身体に力を込めた。

「恭弥」

そんな恭弥を嘲るように、骸は、ことさらゆっくりと近付いて、優しいやさしい笑みを向けてくる。その笑みに竦んで、だが、屈する物かと、恭弥は毅然と顔を上げた。

否応無く目に飛び込む、真っ赤に焼けた鉄の棒。

「やだ…」

「なにがですか?」

逃げ惑う兄の細い足首を片手で捕らえて、骸はその身体を引き摺り寄せる。

シーツに大きく皺を作り、やわらかな寝台を波打たせて訪れた骸の前で、恭弥は躰の震えを必死で押さえつけていた。

本能的な恐怖ばかりは、どうしようもない。その災禍をなす光に、萎縮する。

恭弥は力ない躰でその手から抜け出そうと、踠き続ける。徒労に終わるとわかっていても、諦めたくは無い。

骸が容赦なく自分にそれを押し付けようとしているのがわかるのだ。

恭弥にとって意味のない暴力。理不尽なその行為に、怒りすら湧き上がる。

「離してよ…っ…骸……!!」

ぎりぎりと、恭弥は涙の滲んだ瞳で微笑む弟を睨みつけた。

その強情さに、骸が失笑した。

この状況下においてさえ、恭弥は懇願ではなくて、命令をするのだ。

骸の嘲られるまでも無く、それがどんなに愚かしい行為であるか、恭弥自身にだってわかっている。

本来なら、泣いて縋り付いて、慈悲を乞うべきだ。

だけど、そんな事はプライドが許さない。

「恭弥の、そういう所が、僕は好きですよ」

無防備な裸体を晒し、かすかに震える恭弥に、本当に愛しているかのように、睦言を囁いて。

骸は微笑んで恭弥の膝を大きく広げさせると、白い白い足の付け根に、焼け爛れた狂気を押し付けた。

「――――――――――――――――っっっっっ!!!!!!!!」

声にすら、ならない。

駆け抜けるのは熱さではなく、ただただの、激痛。

陸に上げられた魚のように息も絶え絶えに、恭弥は自身の肉が焼ける匂いをかいだ。

それが、意識が保てた限界だった。

いま、自身を苛む暴虐に焼き尽くされるように、恭弥は気を失った。

ことりと、手足が弛緩していく。ただ、焼け爛れた熱棒を押し付けられた内股だけが強張り、痙攣を繰り返す。

あまりにも哀れなその姿と、涙が滲んだ顔を、骸はまるで物かなにかのように見下ろしていた。そこに感情など、覗かせない。かつて懐いた兄に、なにを想うのか。

恭弥がかいだであろう香りを、当然骸にも届いていた。じゅっという不快な音と共に、立ち上った蛋白質の焼ける匂い。それにも眉一つゆるがせず。

凶器の熱気は顔から大分離して持っていた骸にすら強く伝わってきた。それでも、骸は恭弥が意識を失ってなお微動だにしなかった。無言で、その鉄棒に焼き鏝と同じ役割を果たさせる。

充分過ぎるほど時間がたってから、ようやく凶器が恭弥の内股から外された。

開かれて晒された、まっさらだったやわらかな太腿に、目を背けたくなるような醜いケロイドが出来ている。

表層の皮膚は黒く炭化して、その内から深層にある真っ赤な媚肉を顕わにしてしまった。その周りは、凶器に触れてさえいないのに、その熱に焼かれ、広範囲にわたって火脹れをおこしている。やがてそれらの火傷から、体組織がぐじゅぐじゅと滲み出してくるだろう。

その惨たらしい有様に満足して、骸は持っていた火掻き棒を投げ捨てた。絨毯が焼け焦げるかもしれないが、知ったことでは無い。

恭弥の足に長く押し付けていた所為で、もう大分冷えている。燃えるほどでは無いだろう。

寝台に乗り上げ、骸は恭弥の内股に顔を伏せると、たった今自身の手で造り上げたばかりのケロイドにそっと口付けた。

火傷を負わせたのとは反対の太腿もいまだ痙攣を繰り返していて、骸は己にも口付けを強請るようなそれを何度も何度も撫でてやって、かつて兄によく向けた、ただひたすらに喜びに満ちた笑顔を浮かべて見せたのだった。

 

 

NEXT

 

昨日お邪魔させていただいたチャットで盛り上がって、早速かいてしまいました…皆様、あんな素晴らしい萌えキーワードで、こんな駄作を作ってしまって、申し訳有りません…!!

いらないかもしれませんが、昨日のチャットにて素晴らしいお話を聞かせてくださった皆々さまに捧げます。

ナイフで名前刻みはまだ入れられませんでしたが、後編で頑張ります!!

絶対!!