その事実を聞いた時、胸に去来したのは喜びでも愛しさでもなく、ただただどこまでも醜い嫉妬だった。 Ave Maria 彼女の中にもうひとつの命がいるなんて冗談ではなかった。 彼女と溶けて混ざり合ってひとつになるのが自分じゃないなんて許せることじゃない。 それが自分から派生したものでも、そうなりたいのは今ここで意志をもって思考している自分であって、自我すら持たない分身なんかではない。 だから素直に排除してしまおうと思ったのに彼女は止めるのだ。 「やめてよ」 知ってすぐさま訪れて、堕ろしてしまいましょうと言った自分に、彼女は拒絶の言葉を吐いてあとずさった。 「どうしてですか?嫌いな男の子供なんて欲しいんですか?」 心底不思議で問いかけたら、彼女は苦しげに顔を歪めて目を伏せた。落ちる睫の影すら美しい彼女は、性の匂いが欠片もしない痩せ細った体躯をしていて、その胎に別の生き物を抱えているなんて想像も出来ない。 酷く男を誘う顔をするのに、本当にまるっきり女の匂いを漂わせていない彼女は実際そんな事にはまるで興味が無かったのだ。 そんな彼女を押し開いて無理やり少女から女に変えた自分を本当に嫌っているだろうに、なぜその男に植え付けられた命を守ろうとするのだろう。 それが女の本能というものなのか。 愛されているかもしれないとは微塵も思わない。 だってそんなふうに想われる事はしていないし、それを求めているわけでもないのだ。 彼女に厭われている事を残念だとは思うが、彼にとって彼女が彼を好いているか好いていないかは大した問題ではない。 現実に彼女は自分の物で、その事実は覆しようがないのだから。 だからとても不思議だ。 その命を守ろうとする事が。 僕から庇うように自分の腹を抱き締める細い腕が忌々しくて仕様が無い。その腕は僕のためだけにあるものなに、何故別の存在の為にそこにあるのか。 それとも彼女は子供が好きなのだろうか。 小さな生き物を見ると彼女の瞳は和らぎ、手を伸ばしては優しく撫でている姿を何度か見たことがある。 その事実さえも不快で、何度彼女の目の前で小さな命を引き裂いたか覚えてもいない。 多分、彼女がそれを覚えて小さな命に触れなくなったほどに繰り返したのは確実だ。 ああ、だったらやはり子供も好きなのかもしれない。 だから無意識に守ろうとしているのか。 「あなたは優しいですね」 稚い小さな命を守ろうなんて、考えた事すらない。 愛らしいと思って頭を撫でてやっても、次の瞬間それを踏み潰すのは息をするよりも簡単な事だ。 なんの力も持たないそれらは、路傍のゴミと同じ存在だ。 でも彼女はそれらをきっと守るのだろう。 容赦なく群れる生き物を噛み殺しながら、彼女はその弱い命をまた守ってもいた。 強い彼女は弱さに眉を顰めても、目障りにならない限り容認する優しさを持っている。 「でもそんな優しさなんていりません。あなたは僕の為だけに存在して僕の為だけに生きていれば」 腕を取れば簡単に指が回ってしまう細い手首。青い血管が透きとおった肌の下に敷かれているのすら見て取れる。 触れる一瞬の震えすら愛しいと思う。 引き寄せて抱き締めれば、悲哀に沈む瞳が濡れて許しを乞う。 「やめて」 腹部を這う男の冷たい指先に、引きつった声を上げて逃れようとする躰はあまりにも痩せ細っていて哀れにすら思う。 はじめて会った時、そんな小ささなんて感じさせなかったのに。今はその細さばかりが目に付いて、憐憫を誘う。 だが、彼女をそんな風に変えた男は猫のように笑って優しく囁くのだ。 「大丈夫です。痛みなんてすぐ消えますよ」 優しい優しい指は、彼女の中に巣食っている異物を探り出す為に愛撫するように蠢いて、彼女の恐怖をよりいっそう煽ってやまない。 「やめてよ。やだ」 ただ声を上げて身をよじる力しか今の彼女には残されていない。 爪も牙も男に折られ、吼えることしか出来なくなった。 「あなたが孕むのは僕だけでいいんです」 残酷に宣言して、男は強く強く彼女の胎を抉った。 息を詰め、男の手がめり込んだ腹部を凝視する。 あくまで優しい動きで、その手は何度も彼女の胎を押していった。 齎される痛みは恐怖でしかなく、幾度めかの衝撃に、つと足の付け根を伝うむず痒いような滴りを感じて雲雀はのろのろと自身の肢に目をやった。 流れるその赤を見て、彼女は眦にたまっていた涙を零れ落とした。 たった一粒だけのそれは、すぐに消えてしまったけれど。 「いや…」 消え入るような声を最後に、彼女は激痛と喪失に意識を手放した。 崩れ落ちたその躰を抱きとめて、骸は額にかかる髪を優しく払ってやる。 瞼を閉じて眠る姿はまるでお伽噺の姫君の様。 この上なく美しい女。 彼女以上に美しい存在を知らない。 涙の痕すら彼女を飾り立てる役割しか果たさない。 「女の泣き顔なんて、君に会うまで醜いとしか思ってなかったんですけどね」 微笑しての囁きは、もう彼女には届かないだろうけど。 例えばもし胎児に戻って彼女の中に入れるとしたらそれはこの上ない幸福だろうと思うのだ。 彼女の腹に宿って彼女を喰らい彼女を介してしか世界を見ず片時も離れずに彼女を支配する。 彼女と言う血肉によって作られたならこの体でさえ愛しくてたまらないだろう。 月満ちて生まれたなら、もう一度愛を囁いて僕を育んでくれたその胎を、彼女を愛してあげよう。 きっと彼女は今とかわらず美しい声で鳴いてくれるから。 そんな幸せを他の異物に与えるなんて冗談ではない。 「本当に、残念です」 抱きとめた雲雀の髪を撫でて頬を寄せながら呟く。 「あなたの中に宿ることが出来るなら、どんなことでもするてしょうに」 ふとその白い脚を伝う赤い雫を見て微笑むと、骸はその赤を指でなぞり上げて、優しく彼女に口接けた。 この上なく美しい女。 君は僕だけのマリア。 その胎に宿るのは僕だけでいい。 |