幻水の場所10

基本短文 ユーバーと誰か

 

01:黄金の都

若きは恋を語らい賑わう市場を泳ぎ、幼きは歓声を上げ路地を駆け、老いしは木陰に微睡む。

簒奪した金色に輝く宝冠を濡らした赤き雫はすでに拭い取られ忘れ去られた。しかし見落とした一滴の血痕の如くに、その影は存在した。

柔らかにそよぐ風に陽光を束ねたが如き髪を撫でられるがまま、繁栄に笑いさざめく王都の民を城壁の上より見下ろし、悪鬼は嘲笑に頬を歪める。

かの女が腰を据え、根城と決めた黄金の都。これを打ち立てし竜覇王。

 

「さて。この宿主(やどぬし)はいつまで持つ?」

 

それは欲に溺れた魔女にか、愛に囚われた愚かな男にか、それとも否応無く道連れにされるだろう無力な国にか。

 

浸食はすでに始まっている。

 

 

 

02:魔術師の塔

陰鬱な薄闇を金光をもって差し貫き、とろりと溶けて揺らめく石床をするりと抜けた先を見渡し、異形は肩を竦める。

「陰気な所だ。こんな所にいるやつの気がしれん。まぁ、あいつは好きそうだな」

先触れもなく現れた不躾な訪問者に、その部屋の主たる女性は一つ呼吸をおいてから声をかけた。

「なんの御用ですか」

女の存在にたった今気づいたように、あえて女から目をそらしていた悪鬼は振り向き、口唇を引き上げた。決して友好的でない笑いを敏感に感じ、閉ざした目蓋の内で彼女はなににも揺らがぬように精神に張った防壁をより強固にする。その程度の猶予を敢えて与えた人外の存在が、断罪の刃を振り上げた。

「用?用なぞあるわけなかろう。己が姉の所行を知り、在処を知りながら言い訳を連ね看過し続け、素知らぬ貌で無知な輩に甘言を弄し大切なものを失わせ死地に追いやるという罪を、罪とも思わずに厚顔無恥に積み重ねる醜女如きに。貴様に比べたら、貴様の姉はずいぶんと清廉潔白で美しい人間だ」

容赦のない言葉の嵐に、衣服の袂をたぐり寄せ耐え、面だけは辛うじてそのままに女は言数少なに言い返す。

「あなたになにがわかるというのですか」

それでも絞り出した声音が震えるのは、堪えようがなかった。

「わからんな。わかるわけがない。俺をなんだと思っている?」

あまりにも無力な返し矢を残酷に切って捨て、輝きを凝らせた髪を揺らし異形は失笑する。

「断言してやろう。貴様ほど罪深い咎人はいない」

黒い手っ甲に覆われた中、生来の白を見せ鋭利に尖る指先をそう突きつけて、訪問者は黄金色の光芒に呑まれて消えた。

踏み慣れた自室の床にかかれた波紋が消えるのを視力ではない感覚によって捕らえた女は、力尽きたようにその場に崩れ落ちる。

「なにが」

手元にわだかまる、たっぷりと布を使った丈の長い着衣を手指が白くなるほど固く固く握りしめ、醜く矮小な徒人に過ぎぬ魔術師は呪詛する。

「あなたの如き存在にヒトのなにがわかると言うのです」

あまりにも輝かしき闇。

この世のあらゆる悪行を犯そうとも、決してその咎を背負う事なき存在。

 

怪物よ。(それはヒトを超越せし強大なる人外のもの)

異端者よ。(それはヒトでありながらヒトの枠組みに囚われぬ異形のもの)

美貌の神よ。(それは逃れ得ぬ理の主たる絶対者)

 

 

 

03:湖上の砦

まるで無機物のごとく佇み、じっと彼方を睨むその異形の姿は、美しい彫像のようにで、女の美意識を満足させるに有り余った。使役するもう一方の醜悪ですらある化け物と違い、この怪物は彼女にすら畏敬の念を抱かせるほどに秀麗である。その存在を隷属させているという事実は、この上なく彼女の自尊心を刺激した。

しばしその兜から覗く白皙の容貌に見惚れ、瞬きもせぬ双眸にやはりこの相手は生物としては異端であると確信を深めつつ、かの眼差しが向く方角を見据え、考える。

さて、あちらには何があったか。

ほんの少し頭を働かせ、すぐさま弾き出された答えにウェンディは深く納得する。

あちらには彼女が長年追い求め、悪鬼もまた執着する真の紋章を宿した子供が、こざかしくも反逆の狼煙を上げた居城があった。

「気になるのね」

掛けられた声に、肉眼では視認できぬであろう湖上の砦を直向きに映していた瞳が振り向いた。

そのあまりにも曇り無い、女が身につける最高級の貴石すらもくすませる赤と銀に息を詰め、ひょっとしたら、己には見えぬその城もこの目には見えているのかと錯覚する。

この美しい怪物がいくら異端の能力をもっていても、さすがにそれは無理であろうとは断じ得ないだけのなにかが、そこに宿っていた。

「あれではない」

過ぎるときには過ぎるほどに口数が多いが、足りぬ時はとことん足りぬ相手になれている女は、それが場所ではなく対象へ掛かるのだと理解した。

紋章でなくば、なにがあの湖上へと異形を引きつけるのか。

「では、なにを?」

ゆるりと、緩慢に一つ瞬き、人外の生命はまた彼方に向き直った。

うつる、暗緑色の姿。

この眼が捕らえずとも、意図すれば周囲の景色ごと直接脳裏に飛び込み像を結ぶのは、絶ちえぬ絆故。

己とあれとをまったきに隔てられるものなど存在し得ず、どれ程距離を置こうとも、互いが望めばそれはあまりにも容易く零へと帰る。

それでも繋がりを細く細く、己が存在に幾重にも紗幕をかけ希薄にし、かの眼を眩まし逃れてきた。追い捕らえようとする彼の意識を常に感じながら。

看過し続けたその視線を、受け止め、見返す。

ひたりと交わる、眼差しと眼差し。

赤と銀。

銀と赤。

嘔吐を覚えるほどに姿は酷似して、違う(たがう)反転した虹彩こそがまるで間違いであるように。

まぎれようもない、この世でただ一人だけの同種。

 

「呪われし、我が半身」

 

女への返答か、それとも、今は湖上にある対への呼びかけか。

どちらとも判じ得ないその音は、あまりにも淡々として感情の感じられぬものであったのに、聴いた者の胸を締め付けてやまない響きであった。

 

 

 

04:約束の地

縦に尖った巨石とも言い切れぬ岩に付けられた交叉する傷を、直線的でありながら柔らかさを失わない優美な指がなぞった。無機物ですら官能に声をもらしかねないその白。

鋭敏な感覚器に伝わる、ざらざらとした石と砂の感触、沈み逝く太陽の温もりを捕らえて、ユーバーはゆるりと腕を退き開いた手を握り込んだ。

そうして何処か憐憫を含んだ眼差しをその石にもたれ眠る少年にそそぎ、秘やかに尋ねる。

「結局は手にした全て。責も栄光も、情愛すらも捨て去りただ求めた相手との約束が果たされ、貴様は幸せだったのか?」

約束をその石に刻み込んだ相手からのいらえが返らぬと知りながら問うた悪鬼は、やはり答えを求めず瞬きの間に未練なくその場を去った。

 

 

 

05:緑の学園

06:風吹く草原

07:石の街

08:賑わいの港

09:封印の遺跡

10:星の集う場所