子供ユバ

 

都市の果てまでも続く、この国の繁栄を見せ付けるかのように規則正しく敷き詰められ精緻に舗装された、白い石畳の一箇所に貴族らしい幼子は一人表情乏しく佇んでいた。

従者とでも逸れたのか。緩く一つに結んで肩から流しているハルモニアにおいては上層に位置する者だという証の金の髪は類をみないほど鮮やに眩ゆく人の目を射抜く。

だが、その光に惹かれ視線で追おうと、群衆は誰一人として子供には目を止めずに通り過ぎるばかりで、歩調を乱す者は誰一人としていない。その幼さに見合わぬ、人が想像しうる限りを飛び越した、愛らしい、というよりは美しい、と言ったほうが相応しい容貌にさえも。絶えず弱者や富む者を貪ろうと、禿げ鷹のように目を光らせている性質の悪い集団すらその存在が無い物とでも言うかのように気付かずにいる。

不可視の存在として其処に在る子供は、不安のようなものはその白い面に微塵も浮かべず、退屈や待ちくたびれた者特有の腹立ちのような物を幾ばくか滲ませて、つまらなさそうに脇をすり抜けていく人々を目の端にとらえている。その奇異なまさしく金属と鉱物とで出来た銀と赤の左右非対称の虹彩に映っては消えていく数多の人影は、等しく塵芥に違いなかった。

虹彩の端から端を、お仕着せの制服を着た警備兵が渡り終えた所で、柔らかくもなければ、激しさもない強さで空の下全てを等しく不平等に照らす日の光が、不意に翳った。反射し屈折する光線を失くした瞳は輝きを消失させてしまう。何もかもを呑み込んだように沈んだ瞳が再び日に晒された時には、子供は今居た場所からは大きく離れた場所に立っていた。

大人の足でも半時は掛かろうかというその距離を瞬たきほどの間に越えて現れたその幼子は、調度目の前まで歩んできた初老に差し掛かった男を無言で見上げた。その小さな肢体に衝突する寸前でようやく子供に気付いた男はせわしなく踏鞴を踏み、不思議そうな顔をして彼の子を見下ろした。

「あぁ――やはり、貴様だ」

男の琥珀に結ぶ自身の像を覗き込むようにして、その顔を確認する銀色が鋭さを増した。擦り切れ、着古した衣服を身に纏った何処にでも居るような労働者階級のその人間を見据えたまま、童子は瑞々しく艶めくふっくらとした唇を開いて、子供らしく高い、だが違和を齎す冷え冷えとした声を零れ落とした。

「待ちくたびれたぞ」

月の輪郭のような完璧な半円を描き、男を招く女のように口唇が淫靡に吊り上がった。

きれいに笑んだ幼子の手が、いつの間にか握っていた細く重量のある鋼を、男の背から生やさせていたのも、その笑みが浮かんだのと同時。

穿った肉から滲み出した両刃を伝い落ちて逝く、赤い濃密な液体。握り潰せてしまいそうに小さな白い指が掴んだ柄にまで到達したその赤を見て、子供は蛇のようにちろりとそれに負けぬほど真っ赤な舌を閃かせて、細腕に圧し掛かる重量など感じさせずにしなやかに身体を退かせた。

ずるり、と音を立てて肉の鞘から抜け出た、今は血脂にてらてらと鈍く輝く、細身とはいえ幼いその手には余る剣を引き摺った子供によって、白い石畳に華やかな赤い線が引かれた。

 

「ユーバー」

 

人家の壁に寄りかかり、先と同じように人待ち顔で往来を眺める幼子を違えず目指し、声が降った。

ふいっと金色を揺らして子供が顔を向ければ、暗い赤髪の男が歩み寄ってくる。

白と灰で染められた長套にその髪は、先ほど子供が描き出した絵と同じ色彩だった。自身をまるで出品された絵を審査でもするようにじっと見詰める銀と赤にたじろぐ事も無く、男は当然のように手馴れた仕草でその華奢な身体を抱き上げた。かすかに腕に圧し掛かる重みに、アルベルトは僅かに瞳を和ませた。傍から見れば、迷い子を迎えに来た家人のようにも見えたろう。

「面倒な事をさせるものだな、軍師」

抱き上げられた小鬼は、呆れたように普段と変わらぬ位置に来た男の顔に吐き捨てた。横柄な口調は、常の口からのふてぶてしいと感じる物とは違い、随分と愛らしく眼に映り、男は姿形の齎す影響の大きさを改めて思い知り失笑した。

「帰るぞ」

笑みを刻んだまま、己が命じた行動の過程も結果も問う事は無く、軍師は世界に溢れかえる無辜の民の日常を辿る。

不安定な体勢になった身体を支えるために首に回された、幼い姿の妖の頼りない腕から仄かに馨る錆びた匂いとて、日常の中の一要素に過ぎない。

何事もなかったように(実際、なにも起こらなかったのだ、彼らには)路地を歩き出し、人波に呑み込まれて、大人と子供の姿は消えていく。

 

妖魅が引いた一本の線もまた、踏み躙られて砂に消えた。