セイレーンが啼いている。

 両翼を広げ喉も裂けよと全身を楽器となし、悲壮な声で高く高く、だが深みのあるどこまでも美しい声で。

 

 セイレーンが哭いているのだ。

 

泣く声が聞こえる。

 

 ふっと眠りが醒めた。アルベルトの意識の浮上はいつも一瞬にして行われ、泥のような余韻を引きずることは幼い頃よりなかった。

 それでも今日はいつにもまして水底からの覚醒が早い。

「起きたか」

 頭上から降った低い美声に、嗚呼これのせいかと軍使は眠る己の隣で片膝を抱えている異形を仰ぎ見た。

 昨夜の交情の痕は早消え失せ、名残は無防備にさらされた雪花石膏の肌に記憶をたどるしかない。

 月光色の金糸が流れて落ちるその造形の美しさに、慣れたとはいえ一瞬息が絶える。

 それでもアルベルトは滑らかに酸素を吸い、なんでもないかのように腕をのばしてシーツに蟠る悪鬼の髪に触れた。

「謳っていたか」

 眠りの底で、幽けく意識を揺らす音を聞いていた。

 覚醒を促し、休息を阻害するようなものではなく、ただ沁み渡る歌声は、ただ。

 ひどく悲痛な響きだった。

 だからだろう。

 軍師には珍しいことに、随分と感傷的な気分だった。

「アルベルト?」

 括れた腰に腕をまわし、そっと白い腹に顔を埋めて幼い頃のように頑是ない望みを口にする。

「うたってくれ、ユーバー」

 久しくなかった性的な匂いのない、母に甘える子の仕草で懐く男に、異形は喉を震わせ低く笑った。

「珍しいこともある」

 冷たい手で暗い赤髪を梳き、ユーバーは男の耳にようやく届くばかりの小さな声で歌い始めた。

 麗質な歌声は夜闇を揺さぶることはなくただ静かに溶けて消えていく。

 それなのに、やはり身を引き裂く自傷にも似た哀しみが宿るのに、アルベルトは閉ざした瞼の中で泣き叫ぶセイレーンの幻を見るのだ。

 両腕が翼のその美しい怪物は、凝固させた血を思わせる禍々しい透明な赤と、聖別された銀色をしているのに凄絶な輝きを放つ刃の瞳をもち、金糸で身を飾る。

 その白皙の貌は、腕の中の愛しい異形と同じだった。

「ユーバー、お前を解放してやれない、俺を憎め」

 むしろ人の理に繋ぐばかりで、苦しみを科すばかりの己を憎んで構わぬと告げる愚かな人の子に、人ならざる神は答えず咽喉を震わせ、優しく頭を撫ぜるばかりだった。

 ただ曲の終りに、異形は小さく吐き捨てた。

「バカバカしい」

 悪鬼らしくもない気弱気な悪態に、アルベルトは顔を歪め、その腹にくぐもった笑いを押しつけた。

 

 

ただ純粋に泣くには、今があまりにも幸せすぎた。