まるで廃棄される寸前の取るに足らない書類の一枚でも抓むかのようにして、悪鬼の指先が煌びやかなその翅に添えられた。

 

蝶に遊ぶ

 

はたはたと忙しなくなにかが羽ばたく音が聴覚を刺激する。

鳥の羽ばたきほど強くはなく、薄い布地の旗が緩やかな風に弄られる時のような柔らかい音だ。

音のする方を見やれば、片膝を立て、投げ出したもう片方の足を室内の床に着けた格好で窓枠に凭れるようにして座っている悪鬼の姿が目に映った。立てた膝に片肘を着いて、調度目線と同じほどの高さに持ち上げた手の指を緩く折り曲げている。残った腕は床に着けた足に沿うようにしてやはり投げ出されていた。折りよく差し込む日の光と黒衣があいまって、全身が漆黒に沈み、切り取られた影絵のようだ。ただその中で、一つに編まれた金の髪だけが眩ゆく光を弾いて軍師の目を刺した。

光を遮るように目を眇めてじっと見つめれば、影に沈んだ細部が見て取れた。

淡く光に照らされた貌の輪郭はやはり例えようもなく優美で、その曲線を生み出すことが出来なかった美の信徒達がどれほどの絶望の中死んでいったのかと思わせる。美の集結たるあの妖をみて、彼等は歓喜に打ち震えるだろうか。それとも、自信の才能に絶望してその指を折るのか。

下らぬ思考を続けながら音の源を探せば、悪鬼の手の中、色鮮やかな翅を持つ、蝶、が、一匹捕えられていた。

羽音は、蝶の翅が悪鬼の手に当たるたびに起こる音だった。

己を拘束する指先から逃れようと、必死に翅を閃かせる様は蜘蛛の巣にかかった獲物の哀れさを醸しだす。蝶が羽ばたく度に起こる色の乱舞は目を楽しませる。それは異形にも同じなのか、悪鬼は興味深げにそれを観察し続けている。

ふと、その口唇に笑みが刻まれた。

酷薄に笑んで、妖は投げ出していた腕を持ち上げると、なんの躊躇いもなく、己の手を悲しいほどあえかな力で叩いていた蝶の片翅を指先で掴んだ。

骨が剥きだしになったような色の皮膚が覆った、余分な脂肪など欠片も見られない指先が、愛おしむかのように鱗が連なったような繊細な翅を辿っていく。

触れるか、触れないかではなく、強く圧迫しながらのその愛撫は、容易くその連なりを乱し、微細な粉に変えていく。

剥がれ落ちた燐粉は、陶器のようにすべらかな指の表面にこびり付き、翅を形成していた時そのままに鮮やかな彩でもってその白を飾り立てた。

数度それを繰り返し、厭いたのか、蝶を捕えていた悪鬼の指先が無感情に動いた。

異形の耳には届いたのかもしれないが、軍師の耳にはどのような音すら届くことなく、その美しい姿態は握り潰された。

握りこまれた指の間から、羽の端が飛び出している。

指に挟まれた羽の持ついくつもの色が、肌の白さを際立たせた。

明るい日差しの中、行なわれたその行為は歪で腐臭が漂う。

だが、その光景は酷く美しいものだった。

開かれた手から、くしゃくしゃになった羽が、最早舞うこともなく床に落ちていく。

木目の上、肢を懸命に動かすその蝶を感情の篭らぬ銀と赤の目で見下ろす異形に、戦場で人の命を握り潰す姿が重なった。

いま、この光景より、狂喜に浮かされたその姿は美しい。

もがく蝶とは呼べぬ虫から、すぐさま興味が失せたのだろう。燐粉の着いた手を服の裾で拭って、異形は膝を抱え込むようにして顔を伏せた。

「退屈だな、アルベルト。まだ戦は起こらんのか?」

向けられた相貌には、鬱屈とした感情が宿っている。

取るに足らぬ羽虫に手を伸ばしたのも、退屈によっての気まぐれなのだろう。悪鬼の欲求を、羽虫一匹で満たす事が出来るはずが無い。

「もう少しだ、ユーバー。お前にとっては、瞬きするほどの時間だろう」

分っていただけに、答えにも疲れが滲む。打てるだけの策は打ち、今はそれに敵がかかるのを待つだけなので、する事もなく暇を持て余しているのだろう。かく言う軍師さえ、することも無く、先日手に入れた書物に目を通している最中だったのだから。

「では、ほんの一時、眠るとしよう」

答えに満足したのか、騒ぎ立てることなく、そのまま瞳を閉じて穏やかに寝入った悪鬼を見つめ、アルベルトは密やかに笑い、自信もまた瞳を閉じた。

 

 

 

最後が何故こんな事になったのか…なぜほのぼの?

久しぶりの更新がこれ…orz