疵付き、血を流しながら、

とてもとても幸せそうに幸せそうに、

その異形は屍の山を築き、血の海を作るのだ。

 

 

Echanger

 

 

その姿を、諦念を持って眺めるしか出来なくなったのは、いつからだろう。

昔。

それでも昔は、異形を止める言葉を口に出来ていたのだと、朧に記憶している。

身を守る、なんて行動は異形の頭には存在しなくて、まるで飢えた獣のようにただひたすらに刃を振るう。

傷つい我が身すら省みることなく、ただただ血を求める。

痛覚が無い筈はないのに、痛苦など微塵も浮かべず、うっすらと笑みを浮かべて、肉を裂き、骨を断つ。

夜闇の中、指先で触れれば身体を震わせ、噛みつけば痛いと顔を顰め、ほんの些細な接触にすら反応を返すのに、今はほら。

 

あんなにも大きな怪我を負って、なにも無かったように笑うのだ。

 

 

足を乗せれば、その重みを受けて地面に染み込んだ筈の赤い液体がじわじわと滲み出す。

ぐちぐちとした感触は不快で。それでも、その軟い(或いはそれは悪鬼が殺した人の肉の感触にも似て)地面を踏みしめて、赤髪の軍師は、その大地を生み出した異形の元へと歩んでいく。

やがてはこの時ならぬ雨すらも、乾いた大地がキレイに呑み込むだろう。

そうして、後にはきっと赤茶けた顔を見せるだけ。

この場に起きた惨劇など微塵も窺わせずに。

滋養を得たこの地は、次の年には群れ咲く花を生み出すのだろうか。

それでも、今は花の甘やかな香りではなく、むせ返るような血の匂いと、虚ろな眼窩を青い青い空に向ける屍の群れ。

血を啜る大地の上、乱雑に敷き詰められた亡骸の中、ぺたりと座り込んだ人の姿をしたモノ。

放り出されたようにだらりと垂れ下がる腕は、血と油に曇った剣を緩く握り込んでいる。

くつくつと喉を震わせ、望みを叶えた先にある空虚さのようなものを漂わせて、放心したように俯いて、捕らえ所のない表情で微笑む。

ときおり揺れるその背に、湧き上がる感情を、どう吐き出したらいいのだろう。

血がどくどくと流れ出る肉の切れ目もそのままに、大地に座り込んで、愉悦に笑う美しい異形。

ただの人なら死にすら至る傷に、声を荒上げて糾弾したのは、何時の事だっただろう。

 

「なぜあんな真似をした!!」

 

手傷を負い、白い面をさらに白くさせて、治療すらしないままの裂けた腹をそのままに、戦場を駆けていた。

ぎらぎらと狂熱に瞳を輝かせ、不敵な笑みを崩さずに。

刈り取った数知れぬ命に、その働きによって戦に勝ったのは純然たる事実で。

それでも、その惨憺たるありさまを眼前に晒されて、こちらの血が引いた。怒りに激昂する頭の中、奇妙に冷えた部分があって、唐突に突きつけられた、失うかも知れないという当たり前すぎる恐怖に、畏れた。

相手の怪我など頭から消え失せて、瘧に掛かったように震える腕で、胸座を掴み上げて叩き付けた言葉に返って来たのは、弓月のように吊り上がった赤い口唇と、澱みのように吐き出された己の傲慢。

 

「それが貴様の望みだろう」

 

何故そんなことを口にするのかわからないとでも言いたげに、あどけなく傾けられた首。それを追って流れる金の髪と、その狭間に見えた無垢な瞳。

 

ざっと、血の気が引く音を聞いた。

異形にそうと望んだのは、まぎれも無い自分で。

異形の成す事は、すべて己が示唆した事。

 

わかっていて、わかっていなかった。

 

摘み取られた命、掻き消された誰かの願い。

滅び去る名。

それらが手をかけた異形の罪ではなく、そう策を下した己の負う罪だと理解していた。

それでも、気付いていなかったのだ。

 

その果てにお前を失う事になるかも知れぬことなど。

 

お前の受けた傷も、お前が流した血も、すべて私故で、私故にお前が死ぬかも知れぬなどと。

 

 

 

傷つき、それでも悦楽に微眠ろむ異形に近づきながら、泣き喚きたい衝動を押さえる。

 

 

 

死ぬな、なんて。

 

多分言ってもどうしようもないことで。

 

言う権利すらも、きっと無い。

 

 

 

 

 

ただ、立ち尽くし。君を見守る事しか出来ない、この矮小なる我が身。